61才女性の衝撃告白手記
どんなに辛いことがあっても、私は負けない──。そんな強い意志を持った小野美佐江さん(仮名・静岡県・61才)が、自らの半生を告白する。
〈本稿は、「自らの半生を見つめ直し、それを書き記すことによって俯瞰して、自らの不幸を乗り越える一助としたい」という一般のかたから寄せられた手記を、原文にできる限り忠実に再現いたしました〉
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先日、押し入れの整理をしていたら、写真技士が撮影した恭しい記念写真が出てきました。有名な神社で、生まれたばかりの娘を抱いた27才の私。後ろが夫。その右横に夫の兄が立ち、母の向こうで場違いに笑っているのは母の再婚相手。
この男3人が一緒に写っている写真はあってはならないのです。こんな写真を撮ったことも、存在することもすっかり忘れていた私は、だんだん恐ろしくなり、ごみ箱に捨ててしまいました。
3人の男の誰かが、娘の父親ですが、そのことを娘はもちろん、ほかの家族も知りません。
私が育ったのは、東京郊外の2DKのマンモス団地。父は高卒で地方公務員。母は地味で働き者の理容師。きょうだいは年子の兄と、年の離れた弟。両親とも無口で、父はいつもムッと怒ったような顔をしていました。外からはごく普通の家庭に見えたのかもしれません。
ところが夜、母が作った簡単な夕飯を食べ終えると、せかされてお風呂へ。そして「早く寝なさい」とふすまがピシャリと閉められ、兄と私の地獄の時間が始まります。
夜の8時過ぎ、いくら小学生でもまだ眠れる時間ではありません。布団をかぶってじっとしていると、何かがこすれる音がして、そのうち母のあえぎ声が聞こえてきます。母の声がどんどん大きくなり、最後は父も母も人とは思えないような雄叫び。これが毎晩なのです。
兄も私も耳をふさいで、天井の一点を睨にらみつけ、テレビを買ってからは音を大きくして、「早く終われ」とそればかり願っていました。ふすまの向こうで両親が何をしているのか、私は物心ついたときから知っていました。母の横で寝ていたころ、私の横でもしていたからです。