支援団体の取り組みについても、風俗という仕事からの転職といったセンシティブなネタを取り扱うことについても、何も異論はない。逆に、既存の団体やメディアが見つめない角度から、問題の本質を追究しようとするスタンスは賞賛に値するものだとすら感じる。しかし、その姿勢が上辺をだけを舐め取るようなものであれば、問題の本質が見えなくなってしまうどころか、誤解の蔓延を、風俗で働く女性たちを非とする、狭小な世論を作り出しかねない。
「困窮した女性の多くが風俗で働かざるを得なくなっているという事実、たとえそれが既視感のあるテーマであっても取材する人は逃げないでほしい。“なんとなく働く”女性たちにフォーカスしていますが、“風俗で働いていた期間の履歴書を埋められない”など、突き詰めれば彼女たちの“なんとなく”は、言葉の通りではないと番組を見ているだけでもわかる。風俗嬢のその後について、勝手に心配してもらうのは結構ですが、中途半端に立ち入られるのは大きなお世話。風俗の仕事が危険で、その後のリスクもあるということを啓発するならまだしも……。私たちと同じ立場で取材しろとはいいませんが、上から見下されているという気分になります」(公佳さん)
以前、筆者が若者向け雑誌の編集者だった頃、風俗で働かざるを得なくなった若い女性数人にインタビューをしたことがあった。風俗で働くようになった経緯について問うも、まさに「なんとなく」「お金欲しさに」という答えが九割を占めた。後に、数名のうち2人の女性が働く性風俗店のオーナーに話を聞くと、事情は全く違っていたのだった。
「なぜと問われて、女の子たちが本音で答えないに決まっているし、なんとなく、金の為としか答えられない。森さんはそもそも、彼女たちの置かれた境遇をネガティブなものとして捉え、取材に来ている。彼女たちもそれを知っている。そこに対等な関係がないのは明白で、そんな相手に“親が病気で”とか“学費を稼ぐ為に”と事情を吐き出すわけがない。取材というが、浅すぎませんか」
この取材を通じて、彼女たちが抱える問題の本質は、“なんとなく”と答えざるを得ない心理の中に存在したのではないだろうか、と考えるようになった。本当に深刻な状態にある人が使う「なんとなく」は、一般的に言われる「あまり深く考えず軽い気持ちで」という意味ではないだろう。自分の身に起きたことが複雑なあまり、気づいたらいつのまにか今の仕事に就いている人が発する「なんとなく」は、日常から突然、闇にまぎれてしまった困惑を言葉にしているだけだ。自身ではどうしようもないような困惑や危機に直面した時、テレビカメラの前で全てを晒け出せるのか。マスコミの末端にいる筆者でも、逃げるように漏れ出る言葉は「なんとなく」や「とりあえず」であるに違いない。
その繊細で複雑な本音に触れることなく、アンケート結果の「なんとなく」に着目しても、新しいステレオタイプが生み出されるだけ。もちろん、わかりやすく多額の借金を抱えざるをえなくなる人も、享楽的に風俗の仕事を選んだ人もいるが、実際に働いている人の苦しみはもっと複雑だ。「なぜ風俗で働き続けるのか分からないから泣きつく」と公佳さんがいうように、なぜ自分が苦しいのかも、自身が置かれている状況の説明も難しいという人々がいる。
放送時間や紙幅には限りがあるので、取材対象について伝えられる事柄に限界はある。だが、風俗で働く人や貧困に苦しむ人など、困難に陥っている人たちをとりあげるときほど、限られたなかにも細心の注意をはらわなければならない。取材する者として、ステレオタイプに陥らないよう、ひとりひとりと向き合い、少しずつでも伝え続けようと思いを新たにした。