千葉県野田市は、一大しょうゆメーカー『キッコーマン』が生まれた場所。その歴史は350年以上に及ぶ。なぜ、この地でしょうゆづくりが盛んになったのか? その秘密は、野田の地形にあったようで…。
東武鉄道野田市駅を降りると、真っ先に目に入るのが、高さ約30mの大豆サイロ。その大きさは、思わず見惚れてしまうほどだ。
ここでしょうゆづくりが本格的に始まったのは、約350年前のこと。江戸幕府が成立して間もない頃だ。
「野田は、利根川と江戸川に囲まれているため、しょうゆの原材料である大豆や小麦、塩を船で運搬することができました。また、しょうゆを大量消費する江戸からもさほど遠くないため、船で頻繁に運ぶことができたので、しょうゆづくりが発展しました」(『キッコーマンコーポレート』コミュニケーション部の小野純子さん・以下同)
現在、野田工場に併設する『もの知りしょうゆ館』で、そんなしょうゆの歴史や、しょうゆづくりの工程が見学できるのだが、工場見学の歴史も古く、江戸時代から行っているという。明治期には歌舞伎役者なども訪れ、いつの時代も賑わっていたようで、館内には、そんな歴史を垣間見られる絵も飾られていた。
見学をして初めてわかったのが、キッコーマンしょうゆには、門外不出の麹菌“キッコーマン菌”が使用されている、ということ。当然といえば当然なのだが、どんな菌を使うかで味が違うのだ。
「敷地内の御用蔵では、宮内庁に納めるしょうゆを代々つくり続けています。原材料はすべて国産。杉の桶で熟成させるのですが、この蔵は当時のまま移築していて、蔵の中も見学できますよ」
普段、あまりに身近なしょうゆだが、その知られざる世界を知るのは興味深い。香ばしい香りに包まれていたら、おせんべいが食べたくなった。そんな人も多いようで、野田市内にはせんべい店が多いそうだ。
撮影/浅野剛
※女性セブン2017年11月30日・12月7日号