47都道府県による「人口獲得競争」は、明治5年(1872年)に人口統計がスタートした明治期に始まっていた。歴史人口学の専門家で一橋大学大学院経済学研究科教授の友部謙一氏がその背景を解説する。
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明治4年(1871年)に行なわれた廃藩置県で、それまで約300の藩に分かれていた日本列島は段階的に現在の47都道府県へと再編されていきます。その過程で各県は、地元を裕福にするための“人口争奪戦”を繰り広げました。
各県の県令(県知事たち)は人口誘致に必死でした。人口が増えれば税収も増え、豊かになる。産業が育ち、インフラ整備が整えば、また人が集まり……と好循環が生まれます。明治5年に戸籍制度による人口管理がスタートすると、「我が県の良さをアピールして、人を呼び込め!」と、県職員らに号令を掛けているかのようでした。
特に東京や大阪といった大都市では、人の出入りも多かったため、評判も飛び交い、大都市へ流れ込む流動人口をつかまえ、定着させ、あわよくば結婚・世帯形成そして子どもを誕生させようと、労働市場や結婚市場の整備も進みました。