「やつは50くらいの年配で、俺は若かったから、逃げられるなんて全然思わなかったんだ」
本当なら犯人を見つけた時、電話をかけて応援を要請し、それを待って犯人を囲んで捕まえるべきだったという。だが隣にいる男を見た瞬間、そんな手順を忘れ、すぐに声をかけしまった。
「そのパチンコ屋は男が来るかもしれないと予想されていた店だったんだけど、まさか隣に座っていて、しかもそれに自分が気付かなかったというのは、さすがに想定外だったんだ」
逃げようともがく男の身体をがっちりと抑え込み、二人はそのまま床に倒れ込んだ。その拍子に積み重ねられていた箱が音を立ててひっくり返り、中からパチンコ玉がジャラジャラと転がり出てくる。逃げるのに必死な男と逃がすまいと必死な元刑事の取っ組み合いに、客たちは逃げ出し店内はパニックに。
「ヤクザもんがケンカしている」
所轄の警察署に、そう110番通報が入った。駆けつけた警察官らは、取っ組み合っている二人をその場で捕まえた。
「格好が格好だったから、最初は本当にヤクザもん同士のケンカだと思われてね。応援が来たというより、状況を説明しなくちゃいけなかったよね」
元刑事は頭に手をあてて苦笑いをした。
犯人は元暴力団員の塗装工。少年たちにシンナーや劇毒物を違法に流していた売人だ。シンナーを買った少年の証言から男を突き留め、指名手配したのがその元刑事だったのだ。
「だからよく顔は覚えていたんだよ。そうじゃないとなかなかね。非公開だったけど、交番には写真付きの手配書を回し協力要請していたしね」
元刑事は犯人の男を無事に逮捕。男は取り調べで全面自供した。パチンコ仲間として心を開いてくれたのだという。
「だから、その後もパチンコ屋にはしょっちゅう行ってたかな」
元刑事にとっては捜査の成功談であり、あやうい失敗談でもあった。
「泥棒の係の時は、常習犯を追っかけていると、昼間はパチンコ屋なんかで遊んでいて、夜になったら泥棒に入ったりね。やつらも時間潰しにはパチンコ屋が多かったみたいだな」
パチンコ店というのは、当時、刑事にとっては捜査上の重要なポイントの一つであったのだ。
「今は仕事中、パチンコはやれなくなりましたよ。ちゃんと届けを出さないといけないんだ。例えば、犯人が毎日パターン的にそのパチンコ屋に行くというのがわかっていれば、張り込みするのにそれを予定に書き込んでおかないといけないんだよ。だからなのか、最近の刑事はあんまりパチンコ屋には行かないね」
刑事たちが行かなくなったのは、犯罪に関わる人間たちもパチンコに行かなくなってきたからともいえるのかもしれない。では、彼らは今後、どこへ向かうのか?
先月、カジノ法案が成立した。そのうち刑事の予定にカジノの名前が書き込まれ、警察ドラマでもカジノでの捜査シーンが登場するのだろうか。