「あの頃は『お前のギャラよりフィルム代の方が高いからな』と脅かされたりしまして、カメラの前に行くのが怖かったですね。でも、カメラマンの人たちには若い俳優を育てようという意識があり、少しでも画面に映るようにカメラの近くに呼んでくれたんです。
それでも、大部屋にいる所属俳優にはなかなかいい役が付きません。ちょっといい役はみんな外部の新劇の人たちが持っていっていました。
それで、『もっとお芝居の勉強をしなくちゃいけない』と思っていたところ、丸井太郎さん、三角八郎さんという中堅クラスの先輩が立ち上げた『パンの会』という勉強会に声をかけて頂きました。その会を市川雷蔵さんがバックアップしてくれたんです。一回目の公演は、文学座の方が演出をした『俺たちは天使じゃない』という芝居でした。私の出番は少なかったですが、そのような現場で少しずつ芝居を覚えていきました」
一九七一年の『高校生心中 純愛』に主演、以降は関根(高橋)恵子とのコンビで青春映画に出続けるが、その年の年末に大映は倒産してしまう。
「主演といっても、とにかくあの頃は監督に怒鳴られてばかりいました。『関根恵子はスターだけど、お前はスターではない』みたいなのがあって、それには反発していました。
その頃の大映は倒産する直前だったので、映画製作の資金繰りは厳しい状況だったと思います。地方ロケではタイアップのために宿泊先を転々として、夜は地元のお偉いさんに女優さんがお酌するとか、極端にいうとそんなこともありました。でも、今も俳優として仕事をさせて頂けているのは、大映が私に手を差し伸べてくれたからこそ。感謝は尽きないですね」
●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『役者は一日にしてならず』(小学館)が発売中。
■撮影/渡辺利博
※週刊ポスト2018年10月5日号