皇居の東側に位置する皇居東御苑。ここは皇居附属の庭園で、江戸城の本丸、二の丸、三の丸の跡地を整備して造られた。貴重な史跡や季節の花々が楽しめ、1968年から無料で一般公開されている。
宮内庁の発表によると、昨年の皇居東御苑の年間入園者数は165万5219人と過去最高を記録。改元を前に、多くの人が皇居に足を運んだとみられる。そんな皇居東御苑の天守台跡の脇に「大奥跡」はある。かつてはこの辺りに、多い時で総勢3000人もの女性が暮らしていたという。
そして大奥で暮らしていたのは女性だけではない。ペットとして多くの猫が飼われていたと、歴史作家の桐野作人さんは言う。
「江戸時代後期は、ペットとして猫がブームとなっていました。大奥でも猫の人気は高く、女中の中でも身分の高い女性らは、ほとんど飼っていたといわれています。子猫が生まれると大奥の仲間内で分けていたそうです」(桐野さん・以下同)
大奥の猫の中でも、特に有名なのが、江戸幕府第13代将軍徳川家定の御台所(正室)・篤姫(天璋院)の愛猫だ。
篤姫が飼った猫は2匹。1匹目は「ミチ姫」と名付けられたものの、早くに亡くなってしまう。その後、御中臈の飼い猫が産んだ子猫を1匹分けてもらい、「サト姫」と名付けられた。なんと、世話係が3人用意されたという。
サト姫の首には、着物の裏地などに使用された紅色の紅絹で作った平紐に、銀の鈴が付いており、この紐は1か月に1回交換したという。
「これらは、江戸学の祖と呼ばれた歴史研究家・三田村鳶魚の『御殿女中の研究』に記されており、実際にサト姫の世話をしていた御中臈の証言をまとめてあります」
では、これらの資料をもとに、サト姫の大奥での暮らしぶりをみてみよう。
普段の食事は、篤姫から食べ物を分けてもらっていたそうだ。食器はアワビの形をした瀬戸物で、黒塗りのお膳にのせて出されていた。さらに、歴代将軍の命日や徳川家にとって大事な人の命日などの精進日は、大奥の者は肉や魚を食べないが、サト姫用にドジョウやかつおぶしをわざわざ仕入れて与えていたという。
「精進日は1年で50日前後。精進日のエサ代だけで、年間約25両、現代の価格に換算すると約250万円もかかったといいます」
現代の猫の1か月あたりのキャットフードの平均支出額は3142円、1年で約3万7000円(一般社団法人ペットフード協会「平成30年全国犬猫飼育実態調査」より)。このデータと比較しても、サト姫が贅を極めていたことがうかがえる。
さらに寝る場所も、畳の上ではなく、かごの中にちりめんの布団を敷いた専用の寝床が用意されていた。
「サト姫は16才で亡くなり、死後、戒名まで付けられたという話もあります。猫を擬人化し、生活スタイルも看取り方も人間と同じようにしていたようです。そのあたりの感覚は、現代人と通じるものがあるかもしれませんね」
女の嫉妬やプライド、欲望が渦巻いていた大奥。その中で猫は、女性たちの癒しの存在だったのかもしれない。
※女性セブン2019年5月30日号