「たとえば博多座と明治座、西と東で同じ芝居をして果たして受けるか──というと、やっぱり受けるんですよね。
たとえば『じゃ、またな』と言って舞台袖に去っていく時、そのまま帰ると面白くないから電線音頭を踊りながら帰る。そうすると客席から手拍子が来るんですよ。
でも、それをやると、芝居が壊れちゃう。主役は俺が下がるまでじっと待ってなきゃいけないから。だから悪いなと思うし、出過ぎたことしやがってと思われたら困るわけです。でも、演出は『素晴らしい。どんどんやってほしい』とも言ってくる。そこは大変難しいところですね。
そういう舞台に来るお客さんは、俺たちと同じ年代なんですよね。『お父さん、たまにはお芝居見物に行ってきなよ』とか言われてお小遣いをもらって来ているのかと思ったら、そうじゃなくて今はおじいちゃんおばあちゃんの方がお金を持っているんです。
でも、そのおじいちゃんおばあちゃんの観る芝居がない。小難しい中小の劇団ばかりになって、小難しい芝居をするから。
電線音頭の時代とぴったりと合ったお客さんたちが観る芝居がない。俺が舞台で電線音頭をやって手拍子をもらった時、そのことに気づきました。そういう芝居を、どうして観せてやれないんだろうと思います。
芸術性が高いような芝居は、どこか他の所で観りゃあいいんですから」
●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。
■撮影/片野田斉
※週刊ポスト2020年6月12・19日号