大学の先生が魅力的な人で、その人間性に惹かれて、少しでも近づこうと学問に励む場合もある。でも、それは実際のところ稀な出会いであって、大学で誰が一番自分を知的に成長させてくれるのかと言ったら、同じキャンパスで学び合う友達なのだ。
オンライン授業では埋め合わせられない価値
だから私は、大学選びはできるだけランクの高いところを目指せ、と言う。そのほうがやっぱり知的な刺激を与えてくれる友達ができやすいからだ。また、大学キャンパスはなるべく学年割れや学部割れの少ないところがいい、と言う。そのほうが多種多様な友達と出会え、自分の世界を広げやすいからである。
大学生活においては、そういうことが授業内容なんかよりずっと大事なんだよと私は思うわけだが、その大切な機会をコロナがごっそり奪ってしまっている。それはオンライン授業をいくら改善して、より良きものにしたとしても、埋め合わせられない価値である。
WITHコロナ時代の新しい大学教育の形として、オンライン授業の可能性をポジティブに追求しようと言う大学関係者や論者がよくいるが、今の日本の大学生に必要が必要としているのはそこではない。オンラインはあくまで補完的なものであり、授業は対面式で行うのが基本だ。その授業に出るため、学生たちがキャンパスに集まり、その出会いの中で前述したような知的学び合いが発生する。そこまで提供できてはじめて、年間100万円以上もの学費を支払う価値のある大学教育といえるのだ。
だから、秋から始まる学期は、できるだけ多くの大学が、できるだけたくさんの対面授業を開いてほしい。「密」の問題から大教室の講義が難しいのなら、少人数制の授業は対面が原則、感染が怖いという学生はその授業にオンライン参加できるなど、としてほしい。
ところが、コロナ感染が発生した場合の世間の目が怖いからか、冒頭の「大学生A」さんが書いていたように、〈後期オンライン授業が次々決定〉している。対面授業の実施を検討している大学も、実習、実験などの一部の授業のみ再開といったところばかりで、どうにも及び腰だ。知的な学び合いが発生するような場の再生には、ほど遠い感じだ。
であるならば、学費を減免すべきである。急なオンライン対策などで出費の多い大学側が負担できないというのなら、国が支払うべきではないだろうか。学生さんたちの立場になってみれば、それぐらいの助成があって然るべし。だって私ら、通信制大学に入ったわけじゃないのだから、という心境なのではないだろうか。