「私は元々、建築の仕事をしていたのですが、40年前に妻の実家であるこの店を継ぎました。妻が小さかった頃は角打ちをやっていたようですが、長年販売だけだった。5年ほど前にふと思い立って、また角打ちを再開したんです。軒先に酒樽を置いてみたり、近所のお客さんが手作りしてくれた杉玉をぶらさげたりしてね。お陰様で、今では、地元の町内会の人たちや会社帰りの方、お子さん連れの女性もいらっしゃるようになりましたね」(飛田さん)
「私はこの町に住んで3年。まだ新参者ですが、店の前を通ると楽しそうに飲んでいる顔見知りがいるからついつい足が向きます…。仲間と角打ちができる、ここは終の棲家にしたい町です」(40代、福祉業)
「深川の風を感じながら心地よく酔える。こういうのを最高の贅沢っていうんですよね。(50代、デザイナー)
この地と店を愛す地元の人たちが足繁く通う田口屋だが、明治20年から続く歴史の中では、震災や戦争も経験した。
「このあたりは、関東大震災や東京大空襲で2度焼け野原になりました。でも、そのたびにこの店は再建され、歴史を紡いできました」(飛田さん)
飛田さんが先代への思いを語ってくれた。
「先代は石橋を何度も何度も叩いて渡るタイプ。酒屋の仕事以外、ほかのことに一切手を出さない、まじめな人でした。バブル時代には商売を大きくするためのいろんな儲け話もあったようですが、昔ながらのやり方で酒屋を貫き生き残ってきました。
実は、今際の際(いまわのきわ)に『店をどうしたいの?』って聞いたんです。そしたら、小さな声で『専門店』と言ったんですよ。ずっと酒屋としてブレずに正しい仕事をしていたその矜持を大切にしていきたいと思っています」
常連だという70代の町内会の会長は「昔は田口屋さんの従業員たちが、地域住民の家を回って御用聞きをしていてね、昔から立派な商店ですよ。この店は町内会の中心、昔も今もなくてはならない店。店主は温厚で知的な人。数字にも強いから、町内会でも頼りにされています」と話す。
4代目の飛田さんが先代から受け継ぎ、守り続ける風格ある老舗酒屋は、
「店主は、町内会で僕ら若手と年配の意見の調整役で、若い人の味方になってくれる。ふらっと来て旨い酒が飲めて、気を使わずにいられる安心感! ここはイースト東京の聖地ですよ」(40代印刷業)
「このあたりは気さくな下町でいいじゃない。つっかけで来られる気楽さが好きなんだよね」(60代、俳優で飲食店も経営)
と、いつしかこの町の人たちの憩いの場になった。
銭湯帰りですっかりリラックスした雰囲気の客が飲んでいるのは焼酎ハイボールだ。
「喉をすっとかけぬける、爽快で清々しい味。これは家でもずっと飲めてしまうんだよ。無駄なものがない、すっきりと味わえる完成度が高いこの酒は、昔から変わらない伝統がずっと受け継がれているこの店に通じるね」(30代、三味線奏者)
(※2020年7月28日取材)