シーズンも終盤に差し掛かり、タイトル争いも白熱するプロ野球。過去には、タイトル争いのために信じられないようなプレーが行われることもあった。貴重な証言を紹介する──。
1998年のプロ野球パ・リーグの盗塁王争い。ロッテの小坂誠が西武の松井稼頭央を1盗塁リードして最終戦の直接対決を迎えた。7回表、小坂が出塁すると、マウンド上の芝崎和広は一塁に牽制を悪送球。しかし、小坂は進塁しなかった。すると今度は芝崎がボーク。二塁に進んだ小坂は難しい三盗を試みるも失敗した。西武の投手コーチとしてベンチに入っていた杉本正氏が真実を明かした。
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小坂は三盗が苦手で成功率が低かった。もし出塁したらあえて二塁に進ませようと、牽制で悪送球を投げるというのは、事前に決めていた筋書きだった。
二盗を狙う小坂は進塁しませんでしたが、それも想定内。もう時効だから明かしますが、投手には『進塁しなかったら、次は超クイック』と伝えてありました。
当時はセットポジションの判定が厳しく、きちんと静止せずクイックで投げればボークを取られたんです。結果、二塁に進んだ小坂は三盗を試みましたが、想定通り刺すことができました。
その裏、2死一塁から出塁した稼頭央は、ダブルスチールを成功させ、盗塁数で小坂に並びました。この時、二塁走者の和田一浩は三塁にヘッドスライディングして肩を痛めた。ランナーに出れば稼頭央はフリーで走ってよかったけど、あの時は前にいた和田が懸命に頑張ってくれたんです。
もちろん稼頭央自身もタイトルを狙っていましたが、周囲の思いのほうが強かった。稼頭央は盗塁王を小坂と分け合いましたが、あれはチームが一丸となって取らせたタイトルだったと思います。
※週刊ポスト2020年11月6・13日号