山崎の合戦で光秀が秀吉軍に敗れた後、明智左馬之助(間宮祥太朗)が馬で琵琶湖を渡り、明智の居城である坂本城に向かったという「湖水渡り」の場面もなかった。左馬之助も敵軍に囲まれて城に火を放って自害したと伝わるが、「麒麟」でははっきりしていない。
本能寺で信長が「敦盛」を舞う場面もなし。過去の大河ドラマでは、燃える寺の中で、人間五十年~と「敦盛」を舞った後で最期を遂げることが多かったが、今回の染谷将太信長は、ひとり静かに命を絶つ。しかし、完全に焼失した寺の焼け跡からは信長の髪の毛一本も発見されず。総集編では、帰蝶の目線で語られるとのことなので、ひょっとすると信長の最期についてもあっと驚くことが語られ、別の余韻を残すかもしれない。
あえて伝説の名場面を描かずに余韻を残し、視聴者の想像力を刺激した『麒麟がくる』。ラストシーンで光秀は颯爽と馬で駆けていった。ここまで意外な展開だと、馬ではなく、麒麟に乗っているように見えてくる!? 妄想は広がる。