1985年7月11日、千葉公園体育館。ダンプのラリアットが立野記代を空中で一回転させた
だが、じつは本書の中核を成しているのは、プロレスではなく、家族のことだ。
「明るい家庭の思い出なんてひとつもない」という一文から始まり、定職にもつかず、酒、バクチ、女と遊びの限りを尽くした父への憎しみが、プロレスよりもむしろ濃厚に記されている。
〈大好きな母を苦しめるこの男をどうにかしてやりたい。そのためには、自分が強くなって見返してやるしかない。その後にプロレスラーを志す自分には、大きな理由があった。父を殺したかったのだ〉
だが2019年4月、殺したいほど憎んだ父が肺炎で入院し、医者から余命1週間と宣告されると、父への憎悪はあとかたもなく消えてしまった、とダンプ松本は語る。結局は、妹も含めてたった4人しかいない家族なのだ、と。
女子プロレスラーに、幸福な家庭に育った者はほとんどいない。大きなストレスを抱える少女たちが、バスに閉じ込められたまま、年に250試合の旅を続ける。厳しい上下関係が存在し、ストレスゆえにひどいいじめも頻繁に行われる。すべての痛みと苦しみと憎しみが発散されるのはリング上だけだ。
リング上で苦しむレスラーに、同様の痛みを抱える観客席の少女たちは自らを投影して手に汗を握る。日本の女子プロレスは、かつてそのようなものだった。
【プロフィール】
柳澤健(やなぎさわ・たけし)/1960年生まれ。文藝春秋を経て、2003年フリーに。『完本1976年のアントニオ猪木』『1985年のクラッシュ・ギャルズ』(ともに文春文庫)、『1993年の女子プロレス』(双葉文庫)などプロレス関係の著書多数。最新刊は『2016年の週刊文春』(光文社)。
写真提供/東京スポーツ新聞社
※週刊ポスト2021年2月19日号