この時の描写を克明に書き残しているのが、大衆芸能の記憶と記録に関して際限も門限もない水道橋博士。博士のライフワーク『藝人春秋』の「2」と「3」がたて続けに文庫化された。パラパラめくると“大滝詠一と高田文夫の邂逅”について章を立て、たっぷり書かれている(他の章では私とたけしの息子との再会の様子も書かれている)。芸人作家は色んな現場に立ちあえるし、それを描く筆芸も持っている。なんだかとても大滝詠一に会いたくなった。
大変だったなあ2011年。震災があり、その年も押しつまって談志が亡くなり、「お別れの会」の時、一の子分・森田芳光の死去を知らされ、年があけ2012年「平成中村座」を使って「談志の会」を中村勘三郎と私がMCで開き、4月に私が心肺停止で入院。夏に出てきたら勘三郎が入院しそのまま死去。そして2013年の大みそか、大滝詠一の死を知らされる。永い休暇に入った。
※週刊ポスト2021年4月9日号