江戸時代に水戸藩にうまれた長久保赤水の「改正日本輿地路程全図」。庶民から絶大な人気を博した日本地図で、赤水の存命中に15回以上の改訂がなされた。没後も増版が続き、明治初期まで約1世紀のあいだロングセラーを誇った。幕府の「秘図」だった伊能忠敬の地図ではなく、この「赤水図」こそが、庶民にとって「日本全土」の共通像だった。赤水は農民の出身だったが、地図制作や学問の功績により武士待遇を与えられた
戦後日本において地図会社の代名詞になったのがゼンリンだ。調査員が一戸ずつ表札を書き留めていく地道な作業を続け、やがて全国の住宅地図を完成させた。
カーナビやウェブマップのデータベースにもなる住宅地図。その改訂作業はいまも続けられている。全国70もの拠点にて、調査員が今日も日本のどこかを歩き回っているのだ。こんな会社、世界にない。社員一人ひとりが、伊能忠敬のようなものではないか。
私はこの会社の存在を知ったとき、心底驚き、社史を読み、社員の方にも話を聞いて『道をたずねる』を書いた。地図の調査員を主人公とした小説だ。道を訪ねる。道を尋ねる。どちらでもよい。「道」とは人生そのものだ。
普段は実用性にしか目が向かない地図だが、じつは歴史も生活もロマンも詰まっている。たまにはじっくり眺めて思いを馳せてみるのもいいかもしれない。
取材・文/平岡陽明 撮影/国府田利光
【プロフィール】
平岡陽明(ひらおか・ようめい)/1977年生まれ。2013年「松田さんの181日」でオール讀物新人賞を受賞しデビュー。著書多数。最新刊『道をたずねる』は、地図づくりに生涯を捧げた男たちの一生にわたる友情や家族愛を描いている。
※週刊ポスト2021年4月30日号