ある世論調査では、東京オリンピック中止という意見が半数以上を占め、海外メディアからも中止を求める声が上がり始めた。インドやネパール、パキスタンからの外国人の入国は停止され、オリンピックを開催したとしても、派遣する選手すら決まっていない国もあると聞くから、実際問題、どれくらいの国が参加できるかすら分からないのではないだろうか。
それでも首相は東京オリンピック開催を口にする。多額の税金と労力、時間を投入し準備してきた東京オリンピックだ。中止すれば無駄になるだけでなく、経済的損失は無観客開催時の倍近くの4兆円を越えるという試算もある。ここにも「ここまでやってきたのだから」という心理が働く。「サンクコスト・バイアス」だ。費やした労力やお金は戻ってこないのに、取り返したくなる傾向が人にはある。開催したい理由は人それぞれだし、それだけでないことは分かる。だが、開催を強行しようとする人の心にはそんな気持ちが潜んでいるだろう。
中止の決定を巡り、権限を持つIOC(国際オリンピック委員会)と政府、東京五輪組織委員会の我慢比べになっているとも言われている。開催国としての権利を返上すれば何千億円単位の違約金や賠償金が請求される可能性があるというが、中止の決断をしたなら、そこを交渉するのが政治の役割だろう。
緊急事態宣言を出しながら、オリンピック開催への準備は進める。そんな政府への不信不安は大きくなっていくばかりだ。人の心が政治、政府から離れていくという心理的コストの増加こそ、今の政府がいち早く留めなければならない“支出”だろう。
安全安心な平和の祭典となるのなら、私だって東京で日本の選手が活躍するところを見てみたい。だが、国内の重症者数が連日最多を記録している今、リスクを冒してまで行うことなのか。自身が感染した経験があるテニスの錦織圭選手も言っている。「死人が出てまで行われることではない」と。