辺見マリ『経験』
同じくビジュアル面でセクシー大旋風を起こしたのが、山本リンダだ。1966年のデビュー曲『こまっちゃうナ』を超えるヒットがないままだったが、移籍したポニーキャニオンから1972年にリリースした『どうにもとまらない』で大変身を遂げる。
「『アラビアン・ナイト』のコンセプトのもと、都倉俊一が作曲し、ロックのビートをベースに、サンバを意識してパーカッションを多用。阿久悠の詞が、性愛の局面で主導権を握る女性を生み出しました。へそ出しルックはリンダ自身の提案だったそうです。
変身第2弾の『狂わせたいの』では背中がパックリ空いた真っ赤なジャンプスーツで背中を見せながらうねうねと踊り狂いました。73年の『狙いうち』は歌詞もエスカレートして、〈かしずく男を見ていたい〉だの、女性の自己肯定感がとんでもない高みにたどり着く。セクシー歌謡の王者・リンダの女王様宣言でした」
阿久悠は、もう一人の歌手もセクシーに変身させた。1971年に中島淳子としてデビューしたが売れず、芸名を変えての再デビュー曲『絹の靴下』(1973年)がヒットした夏木マリだ。
「設定は、上流階級の男性に買い上げられた愛人女性のイメージです。退屈すぎる毎日に、この女性が持つ野性が目覚めてゆき、野獣のように抱いてほしいと要求する。阿久悠が夏木マリに与えたのは、ソフィア・ローレンに代表されるセックス・アピールの強いイタリア系グラマー女優のイメージでした」
夏木はこの曲で、手を前に突き出して指を折るフィンガー・アクションで男を誘った。金井克子『他人の関係』や安西マリア『涙の太陽』など、同時期に現われたセクシー系女性シンガーに共通するキービジュアルだった。
「お色気をテーマにした歌は“景気のいい時にしか流行らない”んです。朝鮮戦争特需の時にはお座敷歌謡が大流行、50年代後半の岩戸景気の頃にはムード歌謡が隆盛し、オリンピックの年には『お座敷小唄』が大ヒット。60年代後半のいざなぎ景気の際には園まり、奥村チヨが大ブレイクしました。それは80年代以降も同じです。お色気は男性社会が経済を回していた時代の産物だともいえます」
【プロフィール】
馬飼野元宏(まかいの・もとひろ)/音楽ライター、編集者。『昭和歌謡ポップスアルバムガイド』『HOTWAX歌謡曲名曲名盤ガイド』(ともにシンコーミュージック)など編著・共著多数。『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』『ヒット曲の料理人 編曲家・船山基紀の時代』(ともにリットーミュージック)では構成を手掛けた。新著『にっぽんセクシー歌謡史』(リットーミュージック)は5月21日発売。
※週刊ポスト2021年5月28日号