2000年、シドニー五輪。自国開催の五輪でスターとなったイアン・ソープ。豪州代表はスピード社製の水着を使ったが、ソープは自身がスポンサー契約を結ぶアディダス製の全身水着で大会に臨んだ(写真/共同通信社)
2004年のアテネ五輪では2種目でメダルを獲得した山本だったが、2008年の北京五輪前にはまた新たな水着が誕生する。やはりスピード社が開発した「レーザー・レーサー(LZR)」だ。北京五輪を睨み、NASAなどが開発協力して誕生したこの水着は、立体裁断されたナイロン繊維素材を超音波を使って接着し、縫い目がいっさいないのが特徴だった。撥水性があり、水の抵抗を極限まで抑え込む工夫が凝らされていた。
山本は北京の代表選考にも挑むが、LZRを着ることなく代表の座を逃し、日本選手権後に引退を表明する。当時は契約上の問題で日本代表がLZRを着られないことが大問題となり、五輪直前になって認められる騒動にもなった。
「僕はミズノの水着を使いましたね。それまで僕が持っていた200mバタフライの日本記録(1分54秒56)は、LZRを着た松田丈志に更新されましたね。(LZRを着ていたら?)いや、何を着ても僕はもうあかんかったと思います(笑)」
北京五輪本番では、LZRをまとった選手によって23回も世界記録が更新される。あまりの高速化に国際水泳連盟は2010年、生地を布地に限定し、全身を覆うような水着も禁止となった。
「LZRほどの衝撃はその後、ありません。許されたルールの範囲内で、各社が横並びで技術を競い合っている状況です」
水着によって記録が作られるのではなく、アスリートの競技力が問われる当たり前の競争に戻った。
(文中敬称略)
取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター)
※週刊ポスト2021年7月30日・8月6日号