座り込んで抗議の声を上げるヤンゴン市民(写真/3月13日、北角裕樹さん提供)
今春以降の長引く混乱やストライキで、住民の生活は著しく困窮。銀行窓口は営業しておらず、わずかに動いているATMには利用者が殺到してすぐに現金が尽きてしまうため、半日並んでも現金が手に入らないことが珍しくない。
医師のストライキに加え、大病院は軍に占領されたため、住民はろくな医療を受けられなくなった。新型コロナの検査数も激減し、確かな感染状況すらわからない。また、国軍はコロナで閉校していた学校を再開させたが、教師や生徒が授業をボイコットしたため、結果的に多くの生徒が教育を受けられない状態が続いている。
この混乱の中では、クーデターを起こした側の軍人を含め、誰一人として得をしていないように思える。それではなぜ、こんな結果となるクーデターを国軍は実行したのだろうか。
軍事政権が終わってまだ10年
ミャンマーという国は、長い間、軍の支配が続いてきた。民主化への国民の期待に後押しされ、アウンサンスーチー氏率いる民主派の政党が選挙で大勝しても、その結果が軍によって無視されるという、日本では考えられないことも起こってきた。形の上で軍事政権が終わった(民政移管)のは、わずか10年前、2011年のことだ。
2015年の総選挙で圧勝したスーチー氏は、当初は国軍側と協調姿勢を示していたが、そのうち軍トップのミンアウンライン国軍総司令官(65才)と対立を深めていく。70万人以上のイスラム系住民ロヒンギャの難民を出した2017年の国軍による掃討作戦について、スーチー氏が責任者を追及する動きを見せたことも、両者の間の亀裂を広げた一因だと考えられている。それ以外の場でも民主化を推し進め、軍を封じ込めようとするスーチー氏側の姿勢に対し、既得権益を奪われかねないと国軍は焦りを募らせていった。
一方で、スーチー政権は経済政策やコロナ対策で失策を重ねており、国軍は「自分たちのほうがうまく政権運営ができる。国民も支持するはずだ」と考えていた節がある。その考えが、国軍の幹部たちをクーデターの実行へと動かした。
「まさか、クーデターへの国民の反発がここまで大きいとは予想していなかった」──そう国軍も思っていたに違いない。軍政が終わってから10年という短い間とはいえ、自由な空気を味わった民衆は民主主義を手放すことを強く恐れた。国民感情を読み切れなかった国軍側の誤算がこの悲劇を生んだといえる。