左手でトイレの後始末をした
さて、インセイン刑務所に送られた私は、外国人ジャーナリストということで“VIP扱い”をされたようで、独房に収監されていた。一般の政治犯らは狭い部屋に100人以上が押し込められていたから、たしかに特別待遇だった。
私がいた「中央監獄一号棟」は、第二次世界大戦前のイギリス植民地時代に建設されたレンガ造りの獄舎だったが、壁には不格好に白い塗料が塗られ、レトロ建築物の面影はなかった。独房は奥行き4m、幅2.5mほど。木製のすのこがあり、その上にビニールシートを敷いて寝る。高さ1mほどの衝立の奥に穴があいているのがトイレだ。紙がない代わりにたらいが置いてあり、終わった後はその水と左手を使ってきれいにするしかない。
刑務所生活の数少ない楽しみである食事は1日3回。すべてミャンマー料理で、皿によそった白飯の上から2種類のカレーをかける。かぼちゃの甘いカレーや、なすがいっぱい入った辛口カレーなどだ。ヤンゴンの食堂などで食べるものより油やスパイスが控えめで、意外に口に合った。野菜は刑務所内の菜園で受刑者が栽培しており、いわば採れたて。冬瓜がゴロゴロと入ったスープが美味だった。
苦しかったのは、40度を超えることもあるヤンゴンの暑さだ。独房の壁のレンガが直射日光で熱せられるため、夜になっても蒸し風呂のように暑い。意識がもうろうとして、何もやる気が起きなくなるほどで、一日に何回も水浴びをしては正気を保とうとした。
元大臣からの贈り物
この獄舎には、11人の政治犯がいた。いずれもVIP待遇で、大臣クラスの政府高官、芸能人を引き連れてデモを先導した映画監督、米国籍のジャーナリストらが収監されていた。
独房ではあるが、獄舎の前の庭に出られる自由時間があり、話ができた。政治犯らは互いに助け合いながら生活していた。家族から差し入れがあると「妻の料理だ」と言ってみなで分け合う。よく聞けば、妻も逮捕される恐れがあり「しばらく差し入れに行けなくなるだろう」というメッセージ付きだったそうだ。
私はTシャツとジーンズ姿で拘束されたので、着替えの服を持っていなかった。上半身裸でうろうろしていると、それに気づいた政治犯が看守を通じてTシャツを届けてくれた。元大臣に至っては「これを使いなさい」と言って民族衣装のロンジーをくれた。筒状になった大きな布を腰に巻いて縛る巻きスカートなのだが、巻き方が難しい。彼らから見栄えよく着る方法を教わった。
これらの話からもわかるように、ミャンマー人は人助けが好きな国民だ。刑務所という苦しい環境でも、ミャンマー人気質は失われない。私もその思いに応えようと、差し入れで届いたレトルトカレーをお湯で温めて、みんなに振舞った。
話をするうち、彼らが刑務所に来る前に軍の施設で凄惨な拷問を受けていることを知ることとなる。
「目隠しの状態で手錠をかけられ、棒で殴られる暴行を受けた」
何人もからこのような証言を聞いた。数日間食べ物を与えられずに尋問された末、「後ろ手に手錠をかけられたまま床に食事を置かれ、犬のように口で直接食べざるを得なかった」と話す人もいた。