スケートボード男子ストリートで金メダルの堀米悠斗
象徴的な人が、スケートボードで金メダルを獲得した堀米雄斗選手。金メダルをとった時の、ちょっと恥ずかしそうな伏し目がちの姿がものすごくカッコよかった。スケボが本当に好きで、故郷・東京江東区で金メダルがとれたことをピュアに静かに喜んでいることが伝わってくる。「俺が俺が」という誇示はみじんも感じられず。実は堀米さん、スケボの本場・アメリカを拠点に大活躍しているトッププロで豪邸も建てたほどなのに。
また、幼い頃からスケボを教えてきたお父さんも、サイクリング中で息子の競技を見ていなかった、というのが面白い。関心が無いのではなくその反対。「自分が見ていると負けるジンクスがあるから」。家族がでしゃばらないのも好感。とにかく、スケボ愛がある。
サーフィン競技が終わった時の五十嵐カノア選手も印象的でした。波打ち際に跪いて海の神に心の中で感謝を捧げる姿がいい。人間なんてちっぽけな存在だということは、台風到来時のうねる波を見れば素直に腑に落ちる。
そう、今回のオリンピックで「マイナースポーツが教えてくれたこと」はたくさんあります。純粋に「楽しむ」姿。すごい技を讃える声。競技ができる環境全てに感謝。もしかしたらオリンピックの最初の頃って、こんな風に素朴でみずみずしかったのかもしれないなどと想像させてくれました。
もう一つ、仲間とのつながりも印象的。競技相手はライバルではあっても同じカルチャーを愛する同士ということがわかる。特に四十住さくらと開心那が金・銀メダルをとったスケートボード女子パークを見ているとみんなすごく仲が良く、ギスギスした対立関係を超えていく姿がありました。今回SNSでの罵詈雑言が大問題になりましたが、ライバル国の選手同士が国境を越えて心からつながりあっている景色って、なかなか見られないものです。
『マイナー文学のために』(ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ著)という書籍では、少数者が母国語以外で書いた小説=マイナー文学として、ユダヤ人作家・カフカが敢えてドイツ語で書いた小説の豊かさについて論じています。それとちょっと似ているのかもしれません。
マイナースポーツに参加する少数競技者は、従来の五輪「メジャースポーツ」の型にハマらず、つまらないお約束ごとにも縛られない。独自の豊かな文化を持ち窮屈さから解き放たれているのかも。今後、たとえメジャーな種目になったとしても、マイナーだった時代の媚びない爽やかな姿をぜひ維持していって欲しい--そう願います。