1978年に第68代総理大臣に就任した大平正芳氏は、1980年に不信任決議案の可決を受けて衆議院を解散。衆参同時選挙に入るなかで体調を崩し、6月12日に心筋梗塞から心不全を起こして急死した(享年70)。大平氏の思い出を、孫の渡邊満子さんが振り返る。
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祖父の大平正芳が亡くなった時、私は17歳、高校3年生でした。母は大平の娘・芳子で、父は秘書官も務めた森田一(その後、衆院議員)。祖父の近隣に住み、事実上同居していたような形でした。
祖父は自宅では常にお茶の間で過ごし、読書や執筆作業、所信表明の演説もそこで書いていました。その文章を母に聞かせてアドバイスをもらい、修正作業をしていました。
夜になると夜回りの新聞記者が訪ねてくるので、家の女性がその対応係を務めていました。総理大臣になると大勢の記者が毎晩自宅に来るのです。私も学校から帰ると、対応にかかりっきりになる。当時公邸に住まなかったので、自宅前に黒塗りの車がずらっと並び、記者をお迎えするとおしぼりを渡してお茶を出す。準備から片付けまでを私と母が毎晩やっていました。
〈現職総理として亡くなった大平氏。その後、自民党は「弔い選挙」に大勝した。元日本テレビプロデューサーの渡邊満子氏は、政治家として奮闘した最期の姿を記憶している〉
私は大平正芳にとって初孫ということもあり、舐めるように可愛がられました。名前も、仕えていた池田勇人総理の奥様の満枝さんから一文字いただいて満子と即決したほどです。池田政権で官房長官を務めた祖父は、トヨタのクラウンのCMに「お忙しい大平さん」というナレーションで出ていましたが、その車に同乗しているのは私なんだそうです。
祖父の記憶というと、やはり読書が好きだったことを覚えています。政治に限らず様々なジャンルを読んでいました。
ある方に教えてもらったのですが、祖父が書籍を買う時には幅広く選ぶけれど、その中に有斐閣(出版社)の財政論や国際金融論といった教科書的な本が必ず入っていたと。大蔵省出身なので、そうした基礎を大切にしていたのでしょう。
祖父はたまに私の部屋に来ることがあり、その時は書棚を見るんです。私が何を考えているのか、本棚を通じて確かめていたようです。ある時、乱雑な私の部屋に入ってきた時は「混迷する自民党のようだ……」と苦笑しながら呟いていました。そして本棚をじっと眺めて帰って行ったのを覚えています。
何かに行き詰まったり煮詰まったりすると、本の整理をしていたようです。亡くなる年の正月にも本の整理をしていて、父も手伝っていました。前年に40日抗争(第2次大平内閣発足までの間に自民党内で起きた派閥抗争)がありましたから祖父は「死ぬまでにあと何冊本が読めるかなあ……」と呟いたそうです。69歳でしたからまだまだ沢山読みたいという意味もあったでしょうが、父は何と答えていいかわからずそのままにしてしまった。