高知高校のスーパー右腕・森木の前に立ちはだかる
明徳が窮地にあると思われたもうひとつの要因は、高知中学から高知高校への進学が予定されていたスーパー中学生・森木大智の存在だ。中学生ながら150キロの球速を記録した森木は、馬淵監督の前に立ちはだかる怪物であり、とりわけ平成に入ってから県内で一強に近い独壇場を築いてきた明徳を脅かす存在だった。馬淵時代が終わるかもしれない──そう思わせるほどの逸材だった。
「強力なライバルがいるからこそ、明徳で勝負したいと考える選手もいれば、よそへ行ったほうが甲子園に出やすいと考える選手もいる。明徳を選んでくれて入ってきてくれた選手を鍛えて強くするのが明徳の野球や。ふたりのことは残念やけど、入学してくる選手にもええのがおる。まあ、楽しみにしとってや」
直後、入学してきたのが今回の甲子園で活躍した代木大和であり、1年から遊撃を守り、「私が見た選手で一番肩が強い」と馬淵監督が語る主将の米崎薫暉(くんが)だった。
今大会は、1回戦では馬淵監督同様、策略家である鍛治舎巧監督率いる県立岐阜商業をサヨナラで下し、2回戦ではノースアジア大明桜(秋田)の157キロ右腕・風間球打を攻略。明徳ナインは、高めのストレートとボールになる低めの変化球を徹底的に見極め、風間に5回までに118球を投げさせスタミナを削った。
3回戦の松商学園戦の前日には、1、2回戦で不調だった代木に対して、投球フォームに“間”を作るよう指示し、試合ではその代木が力の乗ったボールで松商打線を完封した。敗れた智弁学園戦では、春にサイドスローを試すように指示して才能が花開いた吉村優聖歩(ゆうせふ)を先発に起用。一度、打者に背を向け、極端に一塁側へインステップしてから腕をムチのようにしならせて投げる超変則投法で、強打の智弁打線を翻弄した。
明徳野球は即ち、馬淵野球だ。現代の高校野球で、試合中にここまで監督の色が出る学校も明徳ぐらいだろう。
この夏の甲子園は、ベスト8に大阪桐蔭を除く近畿圏の5校が残り、智弁和歌山、近江(滋賀)、京都国際、智弁学園でベスト4を独占する異例の大会となった。近畿勢が席巻した要因について、智弁学園戦後に馬淵監督はこう話していた。
「これだけ雨で延びたら、われわれ地方の学校は練習することがないんですよ。地元(近畿)の学校は自分とこの雨天練習場でやれると思いますけど、われわれは練習場を確保するのも難しい。それともうひとつ、近畿の高校野球のレベルはやはり高い」
明徳を去った大阪桐蔭の関戸は、「バランスを崩していて、投げられる状態にまで持って行ってあげられなかった」と同校の西谷浩一監督が話したように、大阪大会、甲子園を通じて一度もマウンドに上がることなく、卒業後は東京の大学へ進学することが有力だ。優勝候補の一角と黙されていた愛工大名電の田村は初戦で姿を消した。そして、2年前の春、「5回甲子園に行きたい」と私のインタビューで語っていた森木は、最後の夏も決勝で明徳に敗れ、2年半の高校野球生活で一度も甲子園の土を踏むことができなかった。
高知大会の決勝の日、馬淵監督はこう話したという。
「(森木が入学した時期に)甲子園に5回出たいという記事を読んだ。野球はそう甘くはない。素材は抜群やけど」
兎にも角にも、馬淵監督の前を通り過ぎていった球児が高校野球を終えてゆく中、明徳のナインはベスト8まで勝ち上がった。