大阪桐蔭一覧

【大阪桐蔭】に関するニュースを集めたページです。

投手転向が吉と出るのか……(時事通信フォト)
伸び悩む根尾昂、高橋周平、堂上直倫……中日はなぜ「有望な若手野手」が育たないのか
 中日・根尾昂がリーグ戦再開の6月17日から投手登録に変更となったことが、大きな反響を呼んでいる。ドラフトで4球団が競合した甲子園の星がプロの壁に苦しんでいるが、中日にはほかにも高校時代に名を馳せたものの、ファンの期待に応えられていない選手が多い。 根尾が投手として大きな可能性を秘めているからこそ、立浪和義監督が野手からの転向を決断したことは間違いない。大阪桐蔭では遊撃と投手の「二刀流」で2年春、3年春、3年夏と3度の全国制覇に大きく貢献。春のセンバツ大会では史上初の2年連続優勝投手に輝いている。 最速150キロの直球、スライダーで相手打者を抑え、巧みなバットコントールに加えて高校通算32本塁打とパンチ力もある。プロでも「二刀流」で挑戦するか注目されたが、野手一本で勝負することを決断する。アマチュア野球担当のスポーツ紙記者は複雑な表情で振り返る。「二刀流で注目されましたが、根尾は高校時代に遊撃の守備に専念して練習を積んできたわけではないので、腰高やフットワークなど守備を鍛え直す必要があった。打撃も速い球への対応力が高校時代から課題とされていた。器用なタイプではないので、才能を引き出せるかは指導者や環境が重要なポイントだった。 ドラフト1位で中日、日本ハム、ヤクルト、巨人が競合して中日が当たりくじを引いたわけですが、正直大丈夫かな? と思いました。高卒の野手で大成した選手が近年出てきていなったからです。大谷翔平という二刀流での成功例がある日本ハム、名遊撃手の宮本慎也氏がコーチを務めていたヤクルトで守備を徹底的に磨いたほうが良かったかなと……。抽選なのでどうにもできないタラレバですけどね」 根尾は1年目からファームで目立った成績を残さないまま、年月が過ぎていく。3年目の昨季は「8番・左翼」で自身初の開幕スタメン出場を飾ったが、72試合出場で打率.178、1本塁打、16打点に終わった。「打撃フォームがコロコロ変わる」と継続性の無さを指摘する声も聞かれた。今年は立浪監督の意向で外野一本で勝負することに。だが、その方針はシーズンに入るとアッサリ覆された。5月に京田陽太が攻守で精彩を欠きファーム降格した事態を受けて遊撃に再コンバートされるもスタメン出場の機会はなく、外野を守り、さらには投手デビューを飾って騒がれた。「中日は根尾をどう育てたいのか理解できない」と他球団の編成は首をかしげていた。そして、投手登録となった後も今季は野手との「二刀流」を継続するという。 遊撃の定位置をつかめなかった原因が、根尾自身にあることは間違いない。ただ、ドラフトで注目された高卒野手たちが中日に入団すると、才能を開花できず伸び悩んできたことも事実だ。 高橋周平は東海大甲府で高校通算71本塁打をマークし、ドラフト1位で3球団が競合。高校ナンバーワンスラッガーは将来を嘱望されたが、試行錯誤を繰り返し、規定打席に初めて到達したのはプロ7年目の2018年だった。このシーズンは11本塁打をマークしたが、その後はミート重視のコンパクトな打法になり、2020年は打率.305、7本塁打を記録している。だが、昨年の打撃不振に続いて今季も打率.238、1本塁打、7打点と「特徴のない選手」になってしまっている。 また、根尾の大阪桐蔭の先輩・平田良介も1年秋から4番を打ち、高校通算70本塁打と豪快なスイングが持ち味だった。ドラフト1位で指名した当時の落合博満監督は「あれだけ振れる選手はそうはいない。鍛えれば俺以上の打者になる」と絶賛していた。だが、プロ入り後は中距離打者としてレギュラーをつかむ。2018年に打率.329をマーク。一方で本塁打は2013年の15本が最多で、2017年以降、2桁本塁打はない。ケガや病気(異型狭心症)で離脱したこともあって出場機会は減っていき、今季は打率.200、0本塁打、3打点だ。 堂上直倫も「超高校級スラッガー」として注目された逸材だった。愛工大名電で甲子園に3度出場し、甲子園での通算打率は.480。高校通算55本塁打を記録した。2006年高校生ドラフト1位で中日、阪神、巨人の3球団が競合。抽選を外した巨人の「外れ1位」が同学年の坂本勇人だった。坂本が右打者最速でプロ通算2000安打に到達したのに対し、堂上が規定打席に到達したシーズンは2016年のみ。2019年の12本塁打が自己最多で、いまは内野ならどこでも守れるユーテリティープレーヤーとして活路を見出している。 長年、中日を取材していたスポーツ紙の遊軍記者は、こう振り返る。「平田も堂上も入団時は打球が凄かった。精度は高くなかったけど豪快なスイングでスタンドに突き刺さるような打球で。(高橋)周平もプロ初アーチは京セラドームで逆方向の左翼席に叩き込んでいます。持っている資質を考えれば20本塁打は軽く打てるはず。広いナゴヤドームが本拠地なのでホームランバッターを育てるのが難しいという事情はあると思いますが、アマチュア時代に長距離砲で鳴らした選手が、中日に入るとこじんまりしたタイプになってしまう。中距離打者を目指すのが悪いわけではないが、ファームの試合を見ても、スイングが小さく当てにいくような選手が多い。相手バッテリーからすると怖さがないんですよね。強打者が次々に台頭している西武を見ると、若手の時から空振りを恐れずガンガン振っている。もちろん、ただ大振りしているのではなく、首脳陣が理になかったフォームでフルスイングするように指導している。選手の資質の問題で片付けるのではなく、中日は打者の育成方針を見直す必要があると思います」 低迷期が続いている中日は、立浪監督が就任した今年も最下位に沈んでいる。石川昂弥、大卒ルーキーのブライト健太、鵜飼航丞と将来が楽しみなスラッガーがそろっているだけに、育成手腕が問われる。
2022.06.18 11:00
NEWSポストセブン
投手としても起用される根尾も議論を呼ぶ
2軍降格危機の中日・根尾昂は本格的に投手転向すべき? 「野手より伸びしろがある」の声
 投手でデビューを飾り、「二刀流」と話題になった中日・根尾昂。だが、本職の野手では厳しい状況に置かれている。ショートのレギュラーだった京田陽太が攻守に精彩を欠いてファーム降格したことに伴い、根尾は外野から遊撃に再コンバートされたが、出場機会が少ない。 5月10日に1軍昇格したが、遊撃としては2試合の途中出場のみ(以下、数字は6月7日試合前時点)。打撃で結果を残せず、ベンチスタートの日々が続いている。遊撃は高橋周平が8年ぶりに守ったほか、守備に安定感がある三ツ俣大樹が先発出場している。6月4日のソフトバンク戦では、同じく遊撃のレギュラーを狙う溝脇隼人が代打で値千金の逆転2点適時三塁打を放ち、ヒーローに。根尾は打率が2割を切る状況で、二刀流の活躍どころか2軍降格の危機を迎えている。スポーツ紙デスクは、根尾の置かれた現状をこう語る。「遊撃でスタメン出場するのはまだ厳しいと首脳陣は判断しているのでしょう。外野の守備は俊足と強肩を生かして十分に1軍レベルですが、打てないとレギュラーに定着できない。二刀流で話題になっていますが、現実的な起用法として野手で活躍しなければ成り立ちません。根尾も今年で4年目。打撃で試行錯誤を続けてもがき苦しんでいる。 思い切って投手に転向するのも選択肢の一つだと思います。野手がダメだからという消極的な理由でなく、投手としての伸びしろの方が大きいように感じる。3年のブランクがあって直球が150キロをマークする投球ができるわけですから。投手と野手だと表情が別人のように違うんですよね。打席だと自信がなさそうに見えるけど、マウンド上ではキリッとした表情でオーラがある。本格的に投手に専念して練習を積んだ時に、どれだけ伸びるのか楽しみな部分があります」 プロ4年目の今季に投手デビューを飾った根尾は、大量得点差で勝負がついた2試合に登板している。5月21日の広島戦は1回1安打無失点の好投。5月29日の交流戦・オリックス戦では大阪桐蔭時代を含めて自己最速タイの150キロを計測。1回1安打無失点ときっちり抑えた。マウンド上では落ち着き払った表情で、走者を出しても動じない。たたずまい、投球フォーム、球質は「良い球を投げる野手」ではなく、正真正銘の投手と見間違うほどだ。 根尾は大阪桐蔭高で投手、遊撃の二刀流で2年春、3年春、3年夏の全国制覇に大きく貢献。2017年、2018年のセンバツでは2年連続で決勝戦のマウンドに登り、胴上げ投手となった。当時の根尾を取材したスポーツ紙の記者はこう振り返る。「いい球を投げていましたよ。でも、スケールの大きさを考えると遊撃で育てたいというのが各球団のスカウトの見方だった。本人も野手一本でプロの世界に入っているので、遊撃で成功してほしい思いはあります。今の起用法だと中途半端になってしまう。野手でレギュラーを取るまでは二刀流を封印してほしい。投手をやらせるならオフに転向して本格的に技術を磨くべき。センスで抑えていますが、変化球の精度はまだまだだし、投げ込むことで制球力も身につく。首脳陣がどう判断するかでしょうね」 投手からプロ入り後に野手に転向した選手は少なくないが、野手から投手に転向したケースは極めて珍しい。現役の選手ではオリックス・張奕、日本ハムの育成枠・姫野優也のみ。張奕は2016年の育成ドラフト1位で外野手として入団したが、2018年途中から投手で登板し、2019年に本格的に転向。同年5月に支配下登録され、今季は救援で7試合登板して防御率1.86の好成績を残している。 立浪和義監督は「投手をやるのであれば将来的には先発ということは思っている」と、投手転向構想があることも言及している。根尾が輝くポジションはどこだろうか――。
2022.06.07 07:00
NEWSポストセブン
センバツ圧勝「大阪桐蔭強すぎ」で有望中学球児の“大阪離れ”懸念
センバツ圧勝「大阪桐蔭強すぎ」で有望中学球児の“大阪離れ”懸念
 圧倒的な強さで4年ぶり4度目となるセンバツ甲子園制覇を成し遂げた大阪桐蔭。近江(滋賀)との決勝戦は16安打18得点で圧勝。この試合で4本の本塁打が飛び出し、1大会でのチーム本塁打数は最多記録を大幅に更新する11本となった。前評判の高かったチームがフタを空けても飛び抜けた強さをみせた恰好だが、“強すぎる”ことが、思わぬ波紋を広げそうだとの声も聞こえてくる。 準々決勝(17対0)、準決勝(13対4)に続いて3試合連続2ケタ得点(4試合51得点)となった決勝戦を観戦した大阪のボーイズリーグの監督はこんなふうにため息をもらした。「子供たちが(大阪)府内の高校に進みたくないと言うはずですわ」 昨秋の大阪大会、近畿大会、神宮大会に続いてセンバツ優勝となり“無敗街道”を突き進む大阪桐蔭だが、野球熱の高い大阪にありながらも、決して大阪出身の選手が多いわけではない。スポーツ紙記者が言う。「大阪桐蔭のベンチ入りメンバー18人のうち大阪府下出身の選手は4人。エースナンバーはじめ3人が岐阜県出身で、その他にも京都府、滋賀県、千葉県、福井県、石川県、愛知県、兵庫県、和歌山県、熊本県などの出身選手が並ぶ。大阪出身で1ケタの背番号をもらっているのは4番の丸山(一喜)君だけ。今年の新入生には東北出身者もいる。スカウト網は確実に全国へ広がっている」 そうしたなか、前出のボーイズリーグの監督は球児の“大阪離れ”が加速することを懸念している。「子供たちだけやなく、親の夢も甲子園出場です。もちろん、大阪桐蔭でレギュラーになれるような飛び抜けた実力があるなら別だが、そうでなければ“大阪桐蔭以外の大阪の高校”に進学したところで、同じ都道府県から2校以上選ばれる可能性がある春のセンバツはまだしも、夏の甲子園への道は非常に険しい。 大阪の中学野球のレベルは全国でもトップクラスですから、地方の甲子園常連校に特待生として野球留学すれば、入学金や寮費などが免除されたうえレギュラーになれて、甲子園への近道となる。この春も、うちのチームの生徒のおよそ8割は四国や中国地方、あるいは東北の高校に進みましたわ」 この監督によれば、有望な中学生が地方に野球留学したとしても、ボーイズのチームにとってはマイナスではない。逆にプラスだという。最終的に出身選手が甲子園に出場することで、選手は集まってくるからだ。ただ、苦労するのは他の大阪府下の高校の野球部だろう。大阪府下のある私学野球部監督はこう話す。「これまでは有望な中学生が大阪府下の高校に分散するから、大阪府の予選でレベルの高い試合ができていた。ところが、近年は声を掛けても大阪桐蔭で野球ができないなら、と地方に野球留学してしまうケースが増えている。大阪桐蔭は全国規模で選手を集め、大阪の他の高校は野球留学ができないレベルの中学生たちが進学する。ますます選手層に差が出るわけです。大阪桐蔭の一強時代となり、勝てなくなった野球有名校では監督がどんどん交代させられている。それによってまた強化が難しくなるという悪循環ですね」 大阪大会は参加校数で愛知、神奈川と並んで激戦区だ。それでも、北大阪と南大阪の2代表制になるのは、夏の甲子園においては10回に一度の記念大会などに限られる。「大阪を含めて参加120校を超える府県では、東西から1校ずつの東京や南北で1校ずつの北海道のように、通常大会でも2代表制になるという噂が毎年のように出る。それが実現すれば大阪桐蔭のいない南大阪に進む球児は増えるかもしれないが、大阪桐蔭に加えて強豪・履正社が含まれる北大阪の高校には、中学生がなかなか進学しない状況は変わらないだろう」(前出・スポーツ紙記者) すでに球児の進学先で“大阪離れ”があるとする見方だが、大阪桐蔭がセンバツを圧倒的な強さで優勝したことで、ますます拍車がかかることになるのだろうか。
2022.04.01 16:00
NEWSポストセブン
PL学園で長くスカウトを務めた井元氏
85歳の伝説のスカウトが語る PL学園時代の終焉と大阪桐蔭時代の幕開け
 広島商が部員のコロナ感染でセンバツ甲子園を辞退し、大阪桐蔭が不戦勝でベスト8となった。これにより甲子園通算58勝となった大阪桐蔭の西谷浩一監督だが、同じく通算58勝の中村順司監督の率いたPL学園を追いかけるかたちで、当初はキャリアを重ねていった。PL学園で長く選手勧誘を担い、伝説のスカウトと呼ばれた井元俊秀(いのもと・としひで、85)氏は昨夏に現場を退いたが、印象に残る選手として、PL学園のスカウトとしては声をかけず、大阪桐蔭に進んだ西岡剛(元千葉ロッテほか)を挙げた。『永遠のPL学園』(小学館文庫)の著者・柳川悠二氏(ノンフィクションライター)がレポートする。【前後編の後編、前編を読む】 * * * 中学時代にPLへの入学を希望しながら、井元俊秀のお眼鏡に適わず、大阪桐蔭に入学したのは西岡剛だった。井元が振り返る。「ちょうど西岡の大阪桐蔭入学を境に、PLの時代から大阪桐蔭の時代になってゆく。郡山シニアとPLのつながりもなくなりました。西岡には申し訳ないことをしたと思っていますが、彼がプロに入ってからも、付き合いはありましたよ。球場でボクを見かけると、いろいろとイタズラしてくるような子なんです。PLに入れなかったことはよほど悔しかったろうけど、その悔しさがあったからプロ野球選手になれた。その思いが彼自身にも強いから、ボクを慕ってくれているのではないでしょうか」 PL学園では1998年春のセンバツをもって、甲子園通算58勝の中村順司が勇退。監督が交代すると、2000年代に入って不祥事が相次ぎ、対外試合禁止などの処分が幾度も下った。そうしたPLの暗黒期に、高校野球の盟主の座を大阪桐蔭が奪っていくのである。 西岡が大阪桐蔭の2年生だった2001年7月、夏の大阪大会の組み合わせ抽選会前日のこと。PL学園では暴力事件が発覚し、出場を辞退する。当時の監督である河野有道は辞任し、井元も翌年、65歳の定年を迎えて退職する。 10歳からPL教団の英才教育を受け、野球を愛したPL教団の2代教祖・御木徳近の命によって野球部の強化に携わってきた井元。その後の井元は大阪に暮らしながら、青森山田の野球部の顧問となり、近畿圏の選手を東北へ橋渡しする役目を担っていく。 青森山田は井元が在任した12年間で青森県内のいち強豪校から甲子園常連校となり、大阪の羽曳野ボーイズからスカウトした柳田将利(2005年高校生ドラフト1位で千葉ロッテ入団)は計3回、甲子園に出場した。 しかし、2011年12月、同校の野球部の1年生部員が死亡する事件が起き、野球部は変革期を迎える。前月に井元を青森山田に誘った理事長が死去したことを受け、井元は青森を離れた。PL学園の寮生活の「上限関係」への見解 PL時代には2年生部員が水死するという悲しい出来事もあった。PLには付き人制度があり、厳しい上下関係を強いられるのは周知だが、井元が在任していた時代にも、日常的に寮内で先輩から後輩への暴力はあったと数々のOBが証言している。 輝かしい甲子園の歴史の一方で、自分が導いたうら若い選手たちがこうした事件に巻き込まれてきた歴史もある。スカウトとして責任を痛感しているのではないか──。井元との付き合いは6年半になるが、この話題に触れたことは一度もなかった。井元は慎重に言葉を選びながら、そして自分を戒めるように語った。「当たり前のことだが、PL時代にそういうこと(暴力)をせえと上級生たちに言ったことはありません。むしろ、後輩が野球の指導をしっかり受けられるように、上級生が下級生の面倒をみてあげるために、上級生と下級生を同部屋にしたりしていた。悪い面ばかりが注目されますが、実際、上級生に救われた下級生というのもたくさんいるんです。 ところが、いつしか相撲の世界のような付き人制度、徒弟制度のようなものになってしまった。子供たちには、大人が入り込めない世界というのがある。寮生活まで大人が介入してしまえば、プライベートまで完全に大人に管理されることになる。子供たちの世界というものを大人は認めてやらないといけないと当時のわれわれは考えていた。今から思えば、それが間違いだったのでしょうか。非常に難しい世代です、高校生というのは」 青森山田から秋田の明桜(2020年4月よりノースアジア大明桜)に籍を移し、初めて甲子園に出場したのが2019年夏だった。当時の2年生エースが山口航輝であり、右肩の亜脱臼によって甲子園での登板はなかったが、翌年のドラフトで千葉ロッテから4位指名を受けて入団した。この日の取材では、その山口からプレゼントされたというロッテのキャップをかぶっていた。井元は自身が関わった球児でプロ入りしたのは総勢83人だと振り返るが、山口に続く“84人目”の候補もいる。「山口と同級生で、白鴎大に曽谷龍平というのがおる。左で150キロを超えるまでに成長しているらしい。プロのスカウトからも良い報告を受けている。私はプロに行くことが最高の野球人生とは思っていないし、中学生を勧誘する時も、『君ならプロになれる』などと言ったことは一度もない。プロになれなくとも、野球の引退後に社会で活躍してくれればそれが幸せな道ではないですか」純粋に野球を頑張る子を応援したい 今も井元は週末になると中学野球の現場に足を運ぶ。「お気に入りの選手には野球道具を買うてあげたり、グローブをプレゼントしたり。他意はありませんよ。純粋に、野球を頑張る子を応援したいという気持ちだけ。彼らは近所の野球好きのおじいちゃんぐらいに思っとるんじゃないかな(笑)」 ノースアジア大明桜のスカウトを昨年8月に辞した井元は、学校から感謝状をもらったという。60年以上の高校野球との関わりの中で、甲子園で通算99勝を挙げ、プロ野球選手83人を送り出してきた。しかし、これまでの野球人生で感謝状のようなものはもらったことがなかったという。 甲子園通算58勝を誇る名将・中村順司がPLの表の顔ならば、井元は裏の顔だった。常に日蔭に身を置き、絶大な人気を誇ったPLを下支えした。そんな井元にとっては、感謝状よりも教え子からプレゼントされたサイン入りキャップのほうが宝物だろう。(文中敬称略)了。【前編】から読む
2022.03.27 07:02
NEWSポストセブン
PL学園の黄金時代をスカウトとして支えた井元氏
甲子園通算99勝 KKコンビ獲得の伝説のスカウトが引退「もう潮時だ」
 部員から新型コロナ感染者が出たことにより、広島商がセンバツ甲子園の2回戦を辞退。大阪桐蔭が不戦勝で準々決勝へと駒を進めた。まさかの不戦勝で大阪桐蔭の西谷浩一監督は甲子園通算58勝となり、同じ大阪のPL学園をかつて率いた中村順司監督と並ぶ歴代2位の数字となった。PL学園の硬式野球部は2016年に休部しており、“大阪の覇者”は完全に入れ替わった格好だ。そうしたなか、中村監督が率いた黄金時代のPL学園の屋台骨を支えた「伝説のスカウト」が、昨夏にひっそりと現場を退いていた──『永遠のPL学園』(小学館文庫)の著者であるノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。【前後編の前編、後編を読む】 * * * 1962年に監督としてPL学園を初めての甲子園出場に導き、その後は野球部の顧問として全国の有望中学生に眼を光らせ、学園のある大阪府富田林に集めて常勝軍団を築き挙げた男がいる。高校野球の歴史上、随一の人気を誇ったPL学園硬式野球部(2016年に活動停止)を語る時、“伝説のスカウト”として必ず名の挙がる井元俊秀(いのもと・としひで、85)だ。 2002年にPLを追われた男は、青森山田で12年間、秋田のノースアジア大明桜でも8年間にわたってPL同様の役割を担い、近畿圏の中学生球児を東北へと送り出してきた。 60年以上に渡る高校野球との関わりの中で、これまで携わった3校で春夏の甲子園に出場した回数は計45回、通算の勝利数は99勝だ。この記録は甲子園通算68勝という歴代最多勝利記録を持つ智弁和歌山の前監督・高嶋仁の偉業と、個人的には同等に語り継がれてしかるべき業績と思っている。そして、プロに送り出した球児も総勢83人にのぼる。「本当はもう少しプロになった選手はおるんだけど、ボクがプロと認めていないのがおるから、その選手はカウントしていません」 深く刻まれた目元の皺をさらにギュッと寄せ、井元はニカッと笑った。およそ1年ぶりに会う井元は、千葉ロッテのキャップをかぶっていた。井元とやり取りするようになって6年以上経つが、特定の球団のキャップをかぶって姿を現したことはこれまで一度もなかった。 昨春に石垣島で行われていた千葉ロッテの春季キャンプに足を運んだ際、井元が明桜にスカウトし、同校からプロに進んだ山口航輝(2018年ドラフト4位)からプレゼントされたサイン入りのキャップだという。山口は現時点で、井元が最後に送り出した、“83人目”のプロ野球選手となる。 だが、今年7月に86歳になる井元が昨年8月、静かに高校野球界を去ったことを知る者は少ない。「コロナ禍でそうそう出歩けなくなってしまったし、出歩くことがしんどくなってしまった。幸いにして、車の運転はできるんだけど、足腰が弱ってしまってね。もうあちらこちらに飛び回ることもできないんです。持病もあるし、潮時かなと。未練なんてありません」KKコンビの才能をどう見極めたのか 昨年7月に話を聞いた時には現役続行の意向を明かしていた。その直後の急な心変わりは、昨夏に風間球打(2021年福岡ソフトバンク1位)を擁した明桜が甲子園に出場したことが関係しているかもしれない。風間は井元が勧誘した選手ではないものの、大エースを看板に明桜が甲子園出場を果たせたことで、「お役御免」を自覚したのかもしれない。 スカウトの仕事から離れたといっても、今も週末になると中学野球の現場に足を運ぶ井元がいる。「それは完全に趣味ですね。甲子園を見るよりも、中学野球のほうが面白いんですよ。ボクがよく足を運ぶチームに素晴らしいキャッチャーがおる。彼の成長を見守るのが楽しみでね。大阪桐蔭の西谷(浩一)君が声をかけとるらしいです(笑)。その子の進路にタッチしようとは思っていません。もちろん、相談されたら、アドバイスはするだろうけど、彼はボクが何者かなんて知らんでしょう」 PL時代において、スカウティングで苦労した思い出はいくらでもある。とりわけ、「逆転のPL」が代名詞となった1978年夏の選手権大会の優勝投手である西田真二(元広島)を口説き落とすために、和歌山にある西田の実家にはギネス級に日参した。「同級生の捕手・木戸克彦(元阪神)にも苦労しましたが、西田に関しては36回目の訪問でようやく決断してくれた。そうそうそう、3年時に甲子園には出場できませんでしたが、同じ和歌山出身の尾花高夫の時も大変でした。PLから社会人の新日本製鐵堺に進み、その後にヤクルトに入団した彼は(和歌山の)九度山出身だった。高野山に向かう途中の山の中に実家があり、1月の末頃に初めて訪ねた。すると私は道に迷ってしまって、草木を掴みながら山を上ってようやくたどり着いた。こんな山を毎日上り下りして学校に通っているんだから、相当、足腰は強いだろうと思った事を覚えております。後に、尾花をヤクルトにスカウトした片岡宏雄さん(2021年12月に逝去)もまったく同じことを話していましたね」 1983年夏から5季連続で甲子園に出場し、プロの世界で大投手、大打者となったKK(桑田真澄、清原和博)や、1987年に春夏連覇を達成した立浪和義や橋本清、片岡篤史、宮本慎也らも井元のお眼鏡に適った球児だった。KKに関してはもちろん、井元の中でも特別な選手だ。「(桑田は)キャッチボールからボールが違った。フォームが美しく、ボールに伸びがあった。回転も素晴らしかった。ピッチャーというポジションは、フォームに癖があってガクガクした動きをしていたり、手投げになったりしてしまう投手はなかなか2年半という高校生活の間では修正ができない。ですから、ボクが選手を見極めるときに大事にしていたのは、まずキャッチボールがしっかりできることだった。 清原に関しては、初めて見た時は引っ張り専門で、とにかく飛距離が印象に残った。私は学習院大学で野球をしていた頃、長嶋茂雄さんのバッティングを近くから見たことがある。ミートしてから20メートルぐらいの打球の初速と角度に希有なホームラン打者の才能が詰まっていた。清原のバッティングを見て大学時代の長嶋さんを思い出しました。全国制覇をするようなチームは、その3年前の段階で優勝できると確信できるものです。木戸と西田の時や立浪の時がそうでしたし、KKの時は野球をまったく知らない人間が監督でも優勝できると思っていました」大阪桐蔭の西谷監督から教えを乞われて 当時のPLは、全国の中学生が憧れる超名門であり、あらゆる手を使って息子をPLに入学させようという強引な保護者もいた。「ある時、OBを通じて宮崎の油津という場所に素晴らしい選手がいると情報が入ってきた。それでボクは、周囲に黙って視察に行ったんです。ところが練習を見ても、正直、PLで野球がやれるような実力ではなかった。どうも選手の母親が『PLから誘いが来ている』と周囲に吹聴していただけなんです」 1970年代後半から1980年代にかけてのPLの黄金期、井元が声をかけた球児は必ずPLの門を叩いた。高校野球に一時代を築いたPLの井元から声をかけられることは中学生にとって最大の誉れであり、甲子園への、そしてプロへの最短の道だった。それは1990年代に入ってからも続いた。大阪桐蔭の現監督である西谷浩一は、当時をこう振り返ったことがある。「どうやったらPLを倒せるか。そればかり考えていました。最初は、良い選手さえ獲れれば差は縮まると思っていました。ところが、誘ってもなかなか入学してもらえない。PLに『A(クラス)』の選手が行くとしたら、うちにはやや劣る『B』の選手しか来ない。そんな状況でPLと同じことをやっていたら、一向に差は埋まりません……」 若き日の西谷から、井元は教えを乞われたことがあるという。「『土下座でも何でもしますから、先生、どうしたら強くなれますか教えてください』『どうやったら欲しい選手を獲れますか』と言ってきましたね。ボクは一言だけ、『良いと思った選手がいたら、熱心にとにかく通うこと。これしかないよ』と伝えました」 しかし、ある時から潮目が変わった。そう井元は振り返る。「1999年だったかな。奈良の郡山シニアに行くと、175センチのショートと、168センチぐらいのセカンドがいた。どちらもPLへの進学を希望していて、どちらも右投げ左打ちの良い選手だったけれども、ボクはショートの子だけを獲った。その後、セカンドの子は大阪桐蔭に進みました。そして、PLのグラウンドで行われた春季大会で1年生から試合に出ていた彼に再会した。ちょうどお母さんもいらしていて、『先生、うちの息子は今でもPLに憧れています』と言われたことを覚えています。この選手が誰だか分かりますか?」 話の途中から察していた。その選手とは──千葉ロッテや阪神で活躍した西岡剛だ。(文中敬称略)【後編】につづく
2022.03.27 07:01
NEWSポストセブン
野球の名門校だったPL学園も信仰と結びつきが強い(写真はPL教団の象徴・大平和記念塔)
PL学園「入試倍率0.02倍」 野球部復活はおろか生徒激減の窮状
 センバツ甲子園の第6日目となる3月24日の第1試合には、優勝候補筆頭と目される大阪桐蔭が登場する。圧倒的な戦力を擁し、2012年と2018年には春夏連覇も果たした“大阪の覇者”だが、かつて激戦区・大阪で圧倒的な存在感を放っていたのが、桑田真澄や清原和博ら数多のプロ野球選手を輩出したPL学園だ。2016年を最後に硬式野球部は休部となり、OBやファンからは復活を望む声が多く聞かれるが、その道のりは遠そうだ。『永遠のPL学園』(小学館文庫)著者の柳川悠二氏(ノンフィクションライター)がレポートする。 * * * コロナ禍となって3度目の春を迎え、第94回選抜高校野球大会も1回戦最後の試合となる「大阪桐蔭対鳴門(徳島)」をもって、出場32校が登場することになる。3月21日までは2万人という観客上限があったものの、まん延防止等重点措置条例が解除される翌22日からはそれも撤廃され、甲子園もようやく平時に戻りつつある。 春と夏の高校野球の季節に、出場校の情報や試合の速報記事とともにインターネット上に大量にアップされているのが春3度、夏4度の日本一を誇るPL学園の関連記事だ。とりわけ1970年代後半から1980年代にかけた黄金期の鮮烈で劇的な戦いぶりは、半世紀近い年月が過ぎ去っても色あせず、いまだ絶大な人気を誇るゆえ、記事も絶えないのだろう。 また、立浪和義が今季から中日ドラゴンズ監督に就任し、2年先輩の清原和博とYouTubeで共演するなど、OBらがYouTubeを使って往年のPLを語って好評を博していることも、その要因であるはずだ。 1956年創部(学園の建学は1955年)の野球部が歴史に終止符を打ったのが2016年だが、学校そのものが“消滅”の危機にあることをその後も筆者は報じてきた。 とにもかくにも、生徒数の減少が下げ止まらないのだ。 PL学園の入学試験の競争倍率に興味を持ったのは2015年だった。その年は、国公立コースと理文選修コースの外部募集がいずれも定員割れ。理文選修コースにいたっては、0.23倍という大阪府下の共学私立で最低の入試倍率であった。 野球部も、そして母体となるパーフェクトリバティー教団(PL教団)も最盛期を迎えていた1980年代のPL学園は、男子の金剛寮と女子の葛城寮に男女あわせて1000人以上が暮らすマンモス校だった。 ところが、野球部が活動を停止した頃のPLは、付属の中学からエスカレータ式に進学してくる生徒もいるとはいえ、生徒数は一学年60人ほど。生徒数が減少する中で、高校の校舎に耐震工事が必要だという行政の指導が入り、2014年頃から中学の校舎で授業を受けるようになっていた。ちなみに、高校の校舎は現在も取り壊されることがないまま、どんどん老朽化が進んでいる。80人の募集に受験者は1人 以来、筆者は毎年2月になると大阪市立中学校高等学校連合会が公表する競争倍率をチェックし、PLは年々、募集定員を減らしながら、競争倍率も低下してきた。 いつしか両コースともに1クラスとなり、昨年度は国公立コースが15人の募集に3人の出願(いずれも併願)で、0.20倍。理文選修コースは80人の外部募集に対し、出願はわずか7人(専願3人、併願4人)で、競争倍率は0.09倍という状況だった。 そして、今年度は国公立コースが20人の外部募集に対し、受験者が1人でその倍率は0.05倍。この受験者は併願のため、もし本命校があってそちらに合格すれば、入学者はゼロとなる。 さらに、理文選修コースの競争倍率はなんと0.02倍だ。80人の外部募集に対し、先願・併願とも1人しかいない。野球部が活動を中止した2016年と比較しても、さらに生徒数を減らしていることは想像に難くない。 同校のOBで、学校に近しい関係者が話す。「野球部は、信者の子供以外の生徒を集めて強化されてきましたが、2014年秋に新入部員の募集停止となり、外部から入学してくる球児がいなくなった。最近では剣道部やバレーボール部も外部から選手を集められなくなり、PL学園の生徒のほぼすべてが信者の2世、3世となっています。1学年の生徒はだいたい20人弱ですね……」 母体となるPL教団では、3代教祖である御木貴日止氏が2020年12月に死去し、後継者が指名されずに「教祖不在」の状況が続き、3代教祖夫人である美智代氏が教祖代理のような立場で実権を握っているとされる。「美智代夫人の意向で、信者の子供以外の生徒を受け入れたくないという方針を学校はとっている。信者数が減少しているのだから、今後、劇的に入学希望者が増えることは考えられない。PL学園とPL教団はバトントワリングにも力を入れてきた歴史がありますが、バトン部も指導者が頻繁に替わるなど、活動が危ぶまれている。母校は、寺子屋のような学校になってしまった印象です」 宗教法人でありながら教祖不在の状況を続けるPL教団と、外部からの入学が期待できず、野球部の廃部に続き、剣道部やバレーボール部が苦境に置かれているPL学園。両者が向かう先は──。
2022.03.24 07:00
NEWSポストセブン
(左端から)主将の武田、エースの大野、キャッチャーの西田らは親子2代で大島高校
奄美からセンバツ甲子園に出場! 大島高校「離島だから強くなれた」
 鹿児島本土から約380キロの「奄美大島」から、3月18日に開幕したセンバツ甲子園の切符を勝ち取ったのが鹿児島県立大島高校だ。練習時間や移動距離などで離島は不利だと思われがちだが、本来ならハンデとなる環境が、むしろアドバンテージに変わることもあるという。ノンフィクションライターの柳川悠二氏がリポートする。【前後編の後編。前編から読む】「フェリーのチャーター」を断念 大島高校の正門を抜けると、すぐに「甲子園事務局」と看板に書かれた教室があった。ちょうど、老齢の男性が地元TV局のインタビューを受けていた。121年の歴史がある同校の同窓会組織である「安陵会」の丸田卯禮男会長だった。「寄付金や甲子園応援の問い合わせが多く、この教室に電話線を引いて事務局としているんです」 教室には熊本西や松山東といった近年、甲子園に出場した学校の応援グッズが並べられていた。複数のスポーツ用品メーカーからサンプルが届いており、予算と相談しながら今回のグッズを選定している途中だという。 離島の応援団は、移動も大がかりだ。フェリー移動となれば、試合前夜に12時間をかけて鹿児島まで行き、そこから新幹線で大阪へ。万が一、雨で順延となっても、奄美に戻るわけにはいかず大混乱となる。ゆえに、82歳になる丸田会長は様々な案を巡らせていた。「大型のフェリーをチャーターして、奄美から大阪の港に寄港する。順延や、勝ち上がって滞在が増えるようなら、停泊したフェリー内で寝泊まりすればいい。他のお客様もいないので、コロナ感染のリスクも避けられる。しかし、組み合わせ抽選から試合の日まで2週間ちょっとしかない。フェリーをチャーターするには一か月前には予約しないと難しいということで、断念しました」 離島の野球部が負うハンデは多い。 塗木哲哉監督は毎年夏、新チームが発足直後の8月に鹿児島市内で10日間ほどの合宿を行うが、それには理由がある。鹿児島県大会に出場するとなれば、最大で2週間ほど、選手はホテル暮らしを強いられる。自宅から通っている球児が多い同校では、まず部員が共同生活に慣れることが甲子園への第一歩なのだ。「島の子供ですから、初めて訪れた場所ではキョロキョロしながらあっちへ行き、こっちへ行きと仔犬のマーキング動作のような行動を取ってしまう(笑)」 保護者の金銭的負担も大きい。小林誠矢部長が話す。「決勝まで進めば負担額は15万円ほどになる。すると家計を心配する生徒が、昼食時に鹿児島大学の学食に行きたいと言い出すんです。学食は一般の食堂より安いですから。親を想う子供たちの気持ちが分かるから、私たちもつらい。だから監督や私たちは『いききれ!』と伝えている。つまり、鹿児島大会を勝ち抜いて九州大会や甲子園に出場できれば、寄付金が集まって保護者の負担は少なくてすむ。だから最後まで勝ち上がれ、と」練習試合が組めない! 大島高校では、平日の練習はわずか1時間半から2時間程度。 グラウンドはそれなりに広さがあるものの、野球部の他にサッカー部、ラグビー部、女子ソフトボール部が使用し、野球部の練習は内野ほどのスペースしかない。外野ノックやフリー打撃は他の部活動が終わってからだ。 やはり決定的に不足するのは実戦練習ですか──と問うと、塗木監督は南九州でよく耳にする「ですです」の相づちのあとこう続けた。「ただ、離島のハンデという言葉は好きじゃない。練習試合ができなくても、工夫と発想があれば、ハンデはむしろアドバンテージとなる。離島の学校でも勝てるんです」 相手校の部員数の関係で島内の学校と練習試合を組むことはできず、実戦練習は紅白戦で培っていく。主力でAチームを構成し、控え中心のBチームには工夫を凝らす。「総合力は劣っても、足の速い子、バッティングの良い子、守備の上手い子はいる。3人が束になれば一人前になる。だからBチームは足専門、打撃専門、守り専門の選手を起用したりして、実力を拮抗させます」 紅白戦では攻守交代の時間を「20秒」に定めてナインを急かしていた。審判団が迅速に試合進行させる甲子園の戦いを見据えてのことだろう。 ただ、本番を想定した練習を繰り返してもなお、アクシデントは起きる。 組み合わせ抽選が行われた3月4日の夜、塗木監督や部長らは大慌てで各所に連絡を入れた。 同校は3月9日から和歌山で短期の合宿を行ったあと、甲子園入りするスケジュールを組んでいた。和歌山では智弁和歌山や箕島との練習試合を予定していたところ、和歌山県の教育委員会が県外の学校との試合を禁止に。旅館等の手配もやり直しとなったのだ。 3月12日に急遽組まれた練習試合の相手は京都の龍谷大平安だった。8年前に選抜出場した際に初戦で対戦した相手である。その時は2対16で大敗し、平安はその大会を制した。それから8年後、大野稼頭央が先発した1戦目は0対2で敗れたものの、小さな大黒柱は105球(自責点0)で完投した。肌寒い中でもMAXは144キロをマークした。 これ以上ない仕上がりだった。選抜の5日目に対戦する相手は、塗木が神宮大会で視察した関東大会の王者である明秀日立だ。塗木監督は言う。「強豪には違いないですが、大野が普通に投げれば勝負できる。大野は物怖じするタイプではありませんが、あり得ないことが起こるのが甲子園なんじゃないんですか。稼頭央が夢中になって白球を放れるか。私はそれを演出するだけです」 大野は対戦したい打者として花巻東の1年生スラッガー・佐々木麟太郎の名を挙げ、優勝候補筆頭の大阪桐蔭とも対戦したいと話していた。 勝ち上がれば2回戦で花巻東、準々決勝で大阪桐蔭と対戦の可能性がある。離島で育った大高ナインによる「大島旋風」を期待するのは、島民ばかりではないだろう。(了。前編から読む)【プロフィール】柳川悠二(やながわ・ゆうじ)/ノンフィクションライター。1976年、宮崎県生まれ。法政大学在学中からスポーツ取材を開始し、主にスポーツ総合誌、週刊誌に寄稿。著書に『永遠のPL学園』(小学館文庫)。2016年、同作で第23回小学館ノンフィクション大賞を受賞。撮影/比田勝 大直※週刊ポスト2022年4月1日号
2022.03.21 07:02
週刊ポスト
奄美・大島高校のエース左腕・大野稼頭央
奄美・大島高校の注目左腕 「中学時代は軟式で連合チーム」から甲子園へ
 鹿児島本土から約380キロの「奄美大島」から、3月18日に開幕したセンバツ甲子園の切符を勝ち取ったのが鹿児島県立大島高校だ。練習時間や移動距離などで離島は不利だと思われがちだが、本来ならハンデとなる環境が、むしろアドバンテージに変わることもあるという。ノンフィクションライターの柳川悠二氏がリポートする。【前後編の前編】大阪桐蔭のエースより凄い!? およそ6万人が暮らす鹿児島県の奄美大島にある県立大島高校の塗木哲哉監督(54)は、昨年11月、東京を訪れていた。目的は全国の地区大会を勝ち抜いた10校が集結し、秋の日本一を決する明治神宮大会の視察だった。 島内では「大高(だいこう)」の愛称で親しまれている大島高校は、昨秋の鹿児島大会を離島勢として初めて制し、九州大会でも準優勝。21世紀枠で初出場した2014年以来となる2度目の甲子園出場を“当確”させていた。1回戦全試合の観戦を終えた塗木監督は、同行していた小林誠矢部長にこう口を滑らせた。「ひいき目なしにうちの大野が一番かもしれんな」 大阪桐蔭には前田悠伍という同校史上最高の左腕と目される1年生投手がいる。広陵(広島)にも明秀日立(茨城)にも好投手や豪腕がいた。それでも大高のエース左腕である大野稼頭央に抱く自信と期待は膨んだ。PL学園出身の松井稼頭央(現・埼玉西武ヘッドコーチ)のファンだという両親に名付けられた大野は、175センチの細身の体型ながら、全身を使ったしなやかな美しいフォームで白球を投じてゆく。MAX146キロ。大きく曲がる縦のスライダーが宝刀だ。「とにかく野球センスがある。ピッチャーしかできないような選手って多いじゃないですか? 稼頭央の場合は、打つことも守ることも素晴らしい。左投げですが、内野だってできるかもしれない。『お前の商品価値を高めるのは、これからのお前次第だ』と伝えています」(塗木監督) 高校からプロ入りを目指す大野の大願が成就すれば塗木監督にとって教え子のプロ第一号となる。 大島高校を訪れた2月下旬の2日間、奄美は雨に祟られた。時折、スコールのような強い雨風が襲い、慌ててひさしのある場所に急ぐナインの姿があった。年間の雨量は屋久島が上回るものの、曇天が多い奄美大島は国内でも日照時間が突出して短いことで知られる。 184センチ、105キロという大柄な体格で、コテコテの鹿児島弁を操る塗木監督は、数学の教師だ。54歳となる現在まで甲子園とは無縁の監督人生を送ってきた。鹿児島南、頴娃高校、志布志高校の監督時代で最も甲子園に近づいたのは監督2年目の1995年夏(県準優勝)。県大会を制した経験もない。そんな彼が奄美にやってきたのが、2014年春だ。副部長から2016年7月に監督となり、5年半後、聖地にたどり着いた。「一緒に島に残ろう」 鹿児島実業や樟南といった伝統校や、神村学園、鹿児島城西のような新勢力が猛威を振るう私立優位の鹿児島にあっても、塗木監督は30年近く甲子園出場の夢を公立校の球児たちと共有してきた。「鹿児島南の時代から、生徒たちを関西遠征に連れ出し、時には甲子園で試合を見せたりしていた。生徒には『甲子園で勝つぞ』と言い続けてきた。今回の選抜出場で、鹿児島南から続く教え子たちに、『甲子園に行く』という約束は果たせた」 塗木監督の座右の銘は、「■啄同時」(■は口偏に卒。そったくどうじ)──。鳥の雛が卵から孵ろうとする時、内側から殻を突いて音を立て、タイミングを見計らったように親鳥もまた外側から殻を突いて殻を破る手助けをする。教師(監督)と生徒(球児)とはそういう関係が理想だと考えている。「若い頃は、まだ雛が内側から殻を突いていないのに、外からガンガン割ろうとしてしまう親鳥だった。野球の指導も、時期とタイミングが大事と今は思います」 今秋のドラフト上位候補に名前が挙がる大野は、奄美空港に近い龍南中学時代は部員数が9人に満たない軟式野球部に所属し、大会には連合チームで出場していた。単独チームではない学校で野球に励んだ投手が甲子園のマウンドに上がるなど聞いたことがない。 中学まで無名に近かったが、それでも強豪校から誘いがあったという。「鹿児島実業OBの知り合いがいて、誘われていたんです。本当は僕も鹿実に行こうと思っていました」 大野はそう言ってはにかんだ。大高でバッテリーを組む西田心太朗は、中学時代に練習試合や公式戦で頻繁に戦った仲だった。父親が大島の野球部OBという共通点もあり、両家が揃った食事会で西田に「俺は大高に決めた。一緒に大高で甲子園を目指そう」と誘われ、奄美に残る選択を下す。 昨秋の鹿児島大会をひとりで投げきり、九州大会では準々決勝の興南戦を完封。しかし、「1週間に500球まで」という球数制限に引っかかり、準決勝、決勝のマウンドは初めて仲間に託した。左腕で146キロを投げるというのも出色だが、スライダーやカーブ、チェンジアップと、すべての球種が決め球となる。「打者が球種を分かっていても打たれないボールを追求したい。甲子園はどこよりも投げやすいマウンドだと聞きますけど、やっぱり初めて立つところなので、不安はある。でも、ドキドキ、ワクワク、楽しみです」 そんな大野を島に引き留めた西田は、選抜出場の功労者かもしれない。「小学校、中学校と見てきて、島外を含めてのトップクラスの投手で格が違った。体は小さかったけど、全身を使ってキレの良いボールを投げていた。稼頭央と一緒ならどこまで行けるのか。そうしたワクワク感があった」 西田のインタビューには主将で遊撃手の武田涼雅も同席していた。彼の父親もまた大高のOBだ。いや部員の両親のほとんどが大高出身だ。郷土と母校への愛着が連綿と続く。武田もエースに対する絶対の信頼を口にした。「九州大会の準々決勝・興南戦では、それまでのスタイルを一変させて、技巧派に切り換えた。球数制限を気にし、三振よりも打たせて球数を減らそうとした。そうしたスタイルチェンジがすぐにできるところも強み」(後編につづく)【プロフィール】柳川悠二(やながわ・ゆうじ)/ノンフィクションライター。1976年、宮崎県生まれ。法政大学在学中からスポーツ取材を開始し、主にスポーツ総合誌、週刊誌に寄稿。著書に『永遠のPL学園』(小学館文庫)。2016年、同作で第23回小学館ノンフィクション大賞を受賞。撮影/比田勝大直※週刊ポスト2022年4月1日号
2022.03.21 07:01
週刊ポスト
高校通算本塁打記録の更新が期待される花巻東の佐々木(撮影・藤岡雅樹)
センバツ注目4選手 独特すぎるフォームの逸材はアーチ描けるか
 今春のセンバツ甲子園に出場する32校が1月28日に発表された。昨秋の神宮大会では各校の「1年生」たちが大きな存在感を見せ、センバツの舞台では「新2年生」となる彼らの活躍に注目が集まることになる。高校通算本塁打の記録更新が期待される逸材もいれば、あまりに“独特なフォーム”で観客の目を惹く大砲もいる。ノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。 * * * 3月18日に開幕する第94回選抜高校野球大会(センバツ)に出場する全32校が決定し、高校球界の球春到来も間もなくである。注目は、早稲田実業時代の清宮幸太郎(現・北海道日本ハム)が樹立した111本という高校通算本塁打記録の将来的な更新に期待が集まる佐々木麟太郎(岩手・花巻東)や九州国際大付属(福岡)の4番に座る大砲・佐倉侠史朗、広島・広陵の真鍋慧――。この3人の左のスラッガーに、春3回、夏5回の甲子園制覇を誇る大阪桐蔭史上でも最高の投手と評したくなる左腕・前田悠伍を加えた新2年生カルテットだ。 4人の中でもやはり、MLBで活躍する大谷翔平(現・エンゼルス)の後輩で、1年秋の段階で高校通算本塁打を「50」にまで伸ばした佐々木の将来には大きな期待を抱かずにはいられない。同校の佐々木洋監督を父に持ち、中学時代は大谷の父が監督を務める金ケ崎リトルシニアでプレーするなど、幼き日から英才教育を受けてきたサラブレッドである。184センチ、113キロという規格外の体格から異次元のスイングスピードで白球を前方90度の範囲の遥か遠くへ飛ばしていく。その打撃フォームはMLBの本塁打記録を持つバリー・ボンズからヒントを得ているという。 憧れは無論、大谷翔平であり、同じく花巻東の先輩である左腕の菊池雄星(マリナーズよりFAで所属先は未定)だ。「花巻東を卒業して世界のトップで活躍しているおふたりを目標に……というか、励みにして、自分たちも負けられないという思いです」 東北大会で優勝した昨年11月、佐々木はこれからの課題をこう話していた。「左投手の対応や、変化球への対応がまだまだ足りない。全国レベルでもしっかり対応できるように、力をつけていきたい。アウトコース、インコースの打ち分けはできるようになってきている。高めの真っ直ぐ、低めの変化球を見極めながら、自分の有利なカウントにもっていくのが自分のバッティングだと思っています。これが全国レベルになると難しくなるのは重々、把握しています。変化球で攻められるのは想定していますので、戦う姿勢を見せていきたい」 入学時に120キロだったという体重は花巻東の猛練習によって自然と絞られてきた。とはいえプロ入りを目指すならば俊敏性に欠ける守備と走塁が大きなハードルだろう。一冬を越えてそのあたりの成長にも注目したい。まるで薩摩藩の剣術のような構え そして、182センチ、102キロという佐々木に見劣りすることのない立派な体格と独創的な打撃フォームで、存在感を放っているのが九州国際大付属の佐倉である。 左打席に入る佐倉は、大股を開いて重心を落とし、バットを垂直に掲げる。そこから振り下ろしていく様は、「チェストー!!」の叫声と共に木刀を立木に振り落としていく薩摩藩に伝わった古流剣術、示現流のようだ。「入学後の夏に、監督やコーチと話し合ってあの形になりました。足を広げるというよりは、低く構えて目線をぶらさず、重心が前にいかないように心がけていたらああいう形になりました。自分流の打ち方で、打撃を磨いていきたいです」 そう明かす佐倉と、日本中の注目を集める佐々木との関係は、5年前の清宮幸太郎と村上宗隆(当時、熊本・九州学院高校。現・東京ヤクルト)の関係を想起してしまう。共に1年生の夏から甲子園の舞台に立ったが、村上は常に前を行く清宮をライバルに位置づけ、背中を追い、両者の立場はプロ入り後に完全に逆転した。高校生活の残り1年半で、佐々木と佐倉の立場が逆転することだってあるだろう。両者は共に昨年11月の明治神宮大会に出場したが、佐倉は同級生のライバルについてこう話していた。「佐々木君はぜんぜん自分よりも凄いバッターで、ホームラン数もすごい。打席ではあまり佐々木君を意識せず、相手投手との対戦に集中していました」 神宮大会では佐々木が初戦の東京・国学院久我山戦と、準決勝の広陵戦で計2本、佐倉が準決勝の大阪桐蔭戦で1本のアーチをかけた。そして、“広陵のボンズ”こと真鍋もまた準決勝の花巻東戦で本塁打を放ち、準決勝が行われた日は本塁打でもそろい踏みとなった(真鍋は大会を通じて15打数8安打と爆発した)。 くしくも三者は同じ一塁手。プロ入り後に苦労を重ねる清宮のように、高卒の一塁手はプロ入り後、なかなか大成しないというのは定説だ。プロの世界において一塁は助っ人外国人やベテラン選手が守ることがどうしても多くなり、一塁しか守れない若手にはなかなかチャンスが回ってこないこともその要因だろう。現時点で一塁以外のポジションが考えづらい佐々木や佐倉とは異なり、左投げとはいえ外野も守れることは真鍋の強みである。 そして大阪桐蔭の前田は、背番号は「14」ながら秋の大阪大会、近畿大会、神宮大会と主戦を任されてきた事実上のエースだ。筆者は大阪大会から神宮大会まで10試合ほど、大阪桐蔭の試合を取材したが、重要な試合でマウンドを託された前田が打ち込まれたシーンは一度もなかった。それもそうだろう。大阪桐蔭を率いる西谷浩一監督ですら、勝利した試合後にこんなことを話すことがあったくらいだ。「大阪大会も近畿大会も、前田が打たれなかった。前田が打たれた時に、チームがどう機能するか、一度、見てみたかったんですけどね……」 常にストライクを先行させ、有利なカウントを作ってから変化球で空振りや打ち損じを誘うのが前田の投球だ。捕手の松尾汐恩(彼もまた野球センスにあふれるドラフト候補)が「打者の手元で止まる」と評すチェンジアップは、高校生が捉えることは困難だろう。 ただし、そんな前田から本塁打を放った選手がいる。神宮大会で対決した佐倉だった。試合後、前田はこう話した。「たぶん、(本塁打を浴びたのは)公式戦で初めてだと思います」 大阪桐蔭の投手陣は前田に加え、中学時代に日本代表歴を持つ3年生の投手が幾人もいて、打線もまた強打を誇る。優勝候補の大本命だ。 新2年生がこれほど注目を集めるセンバツは過去にない。ここで紹介した4人は来秋のドラフトまで高校野球の話題を独占する逸材だろう。だからこそ、全国の新3年生の奮起もまた期待したいのである。
2022.01.28 19:00
NEWSポストセブン
鋭いまなざしが印象的な前田悠伍投手(撮影/藤岡雅樹)
1年生左腕・前田悠伍が「大阪桐蔭歴代ナンバーワン投手」になる日
 各校の1年生が活躍して盛り上がりを見せた高校野球の秋の神宮大会は、11月25日に決勝が行なわれ、大阪桐蔭が18安打11得点の猛攻で広陵(広島)を下し、優勝を決めた。春夏連覇を2度達成している全国屈指の強豪校である大阪桐蔭だが、秋の神宮大会では初優勝となった。そのチームの「核」となっているのが、驚異の1年生左腕だ。ノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。 * * * 夏の甲子園が終わり、新たな“怪物”の誕生を待ち侘びるなかで、この秋、私の視線が釘付けとなったのは、大阪桐蔭で背番号「14」をつけた左腕だった。 その名は前田悠伍──。滋賀の湖北ボーイズから大阪の常勝軍団にやってきた1年生だ。 もちろん、同じ1年生ながら既に49本の本塁打を放っている花巻東(岩手)の佐々木麟太郎や九州国際大付(福岡)の大砲・佐倉侠史朗らの豪快な一発は、高校野球ファンならずとも心を躍らされるし、いずれも将来が楽しみな怪物の卵だ。だが、大阪桐蔭の前田は、野球エリートが集まり、数多のプロ野球選手を輩出してきた大阪桐蔭にあっても、歴代ナンバーワンの投手へ育つ逸材ではないか。実際に生で見る度にそうした予感は確信めいたものへと変わっていくのだった。 初めて前田の投球を目にしたのは、秋季大阪大会の5回戦・大商大堺戦だった。最少失点で9回を投げ、高校入学後初めて完投を記録した。 修行僧のような表情でマウンドにあがり、プレート上で打者に正対するように仁王立ちしてから、投球動作に入っていく。その日は序盤から帽子が宙を舞うことが度々あり、試合後にその帽子のつばを確認すると「躍動」の2文字と共に、「吠」の文字が書かれていた。ピンチというピンチもなく咆哮するようなシーンはなかったが、確かに躍動感にあふれるピッチングだった。前田は試合をこう振り返っていた。「帽子が飛んでしまうのは、力が入りすぎている証拠なので、本当は良くないんです。自分の中で、序盤に少し力を入れて投げた時や、ギアを入れた時に飛んでしまいました。フォームで大事にしているのは体重移動。体重が前に乗らないと、強い真っ直ぐを投げられない。リリースの瞬間まで力を抜きながら打者方向に体重移動していく。中学時代からフォームは変わっていません」 投球スタイルの近い横浜DeNAの今永昇太に憧れ、湖北ボーイズの先輩で、大阪桐蔭から巨人に入団した横川凱を目標にし、「最終的にはプロ野球選手になりたい」と話した。チェンジアップが「止まって、落ちる」 そして、大阪の最大のライバルである履正社が相手となった準決勝で、先発のマウンドを任されたのも前田だった。近畿大会進出、センバツ出場に向けて絶対に負けられない試合の大役は、前日に伝えられたという。 左打者がズラリと並ぶ履正社打線を9回3失点で完投した前田の試合後のコメントは、常に冷静で聡明な一面を窺わせた。「この1週間、対左打者対策として、ブルペンで左打席に入ってもらって、インコースの厳しいところにストレートを投げる練習をしてきました。それは西谷(浩一)先生の指示だったんですけど、それを聞いて、おそらく自分が履正社戦に投げるのかなと思って準備してきました。昨日の夜はアドレナリンが出ていたんですけど、試合となればうまく気を落として(落ち着いて)緊張することはなかった。普通に自分のピッチングをしたら抑えられると思っていた」 試合後、前田の広いおでこには太い血管が浮き出ていた。平静を装っていても、履正社を相手にしてつい力が入ったのだろうか。「いえ、これ(血管が浮き出ているの)はいつもです(笑)」 それにしても眼光が鋭く、目力に圧倒された。「それは言われますね。マウンドでも弱気なところは見せたくない。だから自然とこういう目になっているのかなと思います」 前田は1年夏からベンチ入りすることを目指して大阪桐蔭に入学した。西谷監督らの期待は大きかったが、夏の甲子園に出場した前チームでのベンチ入りはさすがに果たせなかった。しかし、甲子園に臨んだ3年生とシート打撃で対戦する中で経験を積み、彼らを抑えることで自信をつけていく。 圧巻のピッチングは、来春のセンバツに向けた参考大会となる秋季近畿大会でも続いた。3週にわたって開催された同大会に、私は毎週末、会場となる滋賀の皇子山球場に足を運んだ。前田は7回コールド勝ちした初戦の塔南(京都)に先発して零封し、準々決勝・東洋大姫路(兵庫)戦では7回からマウンドに上がり、打たれたヒットはわずか1本でセンバツ切符をほぼ手中にした。準決勝の天理(奈良)戦では、勝利を決定づける一発も打者として放ち、あふれる野球センスを披露していた。 自己最速は145キロ。変化球はスライダーにカーブ、チェンジアップにツーシーム。とりわけ捕手の松尾汐恩が「ストレートの軌道から、ボールが止まる」と表現するチェンジアップが前田の最大の武器だろう。左指でOKに近い形を作ってボールを握り、「小指で引っかけるように投げる」(本人談)ことで、ボールは突然失速して、斜め左方向に落ちていく。 高校野球レベルではそう簡単にはじき返せないだろうが、すべての球種でストライクを取ることができ、すべてのボールがウイニングショットになるのも強みだ。西谷監督からの厚い信頼 大阪桐蔭の2年生には、中学硬式野球の代表歴を持つような左右の好投手が複数いる。その全員が、どの強豪校に行ってもエースを争えるような逸材であり、既に甲子園のマウンドを経験した投手もいる。だが、西谷監督は、大阪大会、秋季大会を通じて、とりわけ重要な試合で下級生の前田に先発マウンドを託してきた。「まだ1年生なので、細かいことは言わず、のびのびやってくれたらいい。走者を背負ってからの牽制や、フィールディングといったピッチング以外の部分も1年生の秋としてはやれていると思います。器用にいろんなボールを放りますが、器用貧乏にならないようにだけは注意したいと思っています」(西谷監督) センバツ行きを当確とし、同校として初めての明治神宮大会優勝を目指す過程において、西谷監督はこんな言葉を口にするようになっていった。「大阪大会、近畿大会と、うまく抑えられてきたので、相手に(先制)点を取られた時にどんなピッチングをするかを見てみたかった」(近畿大会準決勝・天理戦後のコメント) つまり、公式戦で前田が連打を浴びるなどして降板したケースがこれまで一度もない。劣勢に立たされた時にどんなピッチングをするのか──。巨大戦力の大阪桐蔭だからこその贅沢な悩みではあるのだが、甲子園通算56勝の西谷監督にここまで言わしめるほど、前田に対する信頼は厚く、また前田がいかに高いレベルで安定して相手打線を封じ、大阪桐蔭を牽引してきたかがわかる。 明治神宮大会の初戦・敦賀気比(福井)戦ではリリーフに回り、3回までに4失点した先輩を好リリーフして8対4の勝利に貢献。準決勝の九州国際大付戦では、前述の佐倉に先制の本塁打を浴びるも、その後に立ち直って7回コールドで勝利した。佐倉の一発は、前田が高校入学後、初めての被本塁打となった。 そして、決勝・広陵戦における大阪桐蔭は、序盤の7点リードをしながら、広陵の猛追を受け、総力戦に。西谷監督が5人目の投手としてマウンドに送り出したのが、前田であり、前田は1失点したものの胴上げ投手となった。 前田は秋の戦いをこう総括した。「真っ直ぐで押して、変化球で相手を打ち取るのが自分のスタイル。真っ直ぐを捉えられて、変化球でかわすピッチングになってしまう場面もあった。まだまだ力不足を感じます。冬の練習でレベルアップしたい」 一冬を越え、来春を迎えれば前田はおそらく甲子園のマウンドに立つ。また一段と進化した姿で聖地に現れるはずだ。
2021.11.27 11:00
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驚異の高1スラッガー・佐倉侠史朗「独特すぎるフォーム」の理由語る
驚異の高1スラッガー・佐倉侠史朗「独特すぎるフォーム」の理由語る
 11月25日に行なわれる明治神宮野球大会(高校の部)の決勝戦は大阪桐蔭(大阪)と広陵(広島)がぶつかるカードとなった。今大会は1年生の強打者が神宮球場に次々とアーチをかけて話題となったが、なかでも鮮烈な印象を残したのが、バッターボックスでの独特なフォームが目をひく九州国際大付(福岡)の4番・佐倉侠史朗だった。ノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。 * * * 東のリンタロウに対し、西のキョウシロウ──。 明治神宮球場に現れた怪物は、菊池雄星、大谷翔平というメジャーリーガーを輩出した花巻東(岩手)の一塁手・佐々木麟太郎だけではなかった。九州国際大付の4番を任された佐倉侠史朗。彼もまた1年生の大型一塁手である。 182センチ102キロの巨躯も、183センチ117キロの佐々木に見劣りしない存在感で、打撃フォームはオリジナルのものだ。打席に入るや広くスタンスをとり、重心を極端に落としてバットを高々と高く掲げる。そこから日本刀を振り下ろすようにバットを振り抜き、白球をスタンドに叩き込めばゆったりとダイヤモンドを一周する。「侠史朗」の名の通り、何とも漢気を感じさせる立ち居振る舞いだ。「フォームが独特とは言われるんですけど、夏の大会で2~3打席立たせてもらって、結果が出なかったんです。そのあとに、監督やコーチと話し合って、低く構えて目線をぶらさず、重心が前に突っ込まないように気をつけると、あのフォームにたどり着きました。これが自分の打ち方だと思って、打撃を磨いていきたい」 明治神宮大会・準決勝の大阪桐蔭戦を前に、佐倉は広陵と戦っていた花巻東が一時、同点に追いついた際の佐々木の3点本塁打を目に焼き付けた。同じ1年生には負けられない。そんな想いも抱えている。「佐々木君はぜんぜん自分よりもすごいバッターで、ホームラン数もすごい。これまでは佐々木君を意識して、長打にこだわりすぎるところもあったんですけど、今日は相手投手との戦いに集中することができたと思います」 7回コールドで敗れた準決勝の大阪桐蔭戦では、同じく1年生ながら常勝軍団の事実上のエース格である前田悠伍のインハイのストレートを右中間に運んだ。打った瞬間はライトとセンターの間を抜けるライナー性の当たりに見えたが、打球は失速することなくフェンスを越えた。「真っ直ぐ高めのボールでした。しっかり強くスイングすることだけを心がけました」 佐倉は来春のセンバツが懸かった秋季九州大会で、2本もの満塁弾を放っている。大舞台での勝負強さもまた、佐々木と共に怪物に必要な条件を兼ね備えていると言えるだろう。 そして、広陵の1年生・真鍋慧(けいた)もまた、“広陵のボンズ”の二つ名に相応しい一発を、ライトスタンドに叩き込んだ。スイングスピードは佐々木と同等で、インコースの速いボールを身体を回転させて捌いていくテクニックは、佐々木と佐倉を上回る印象だ。 1年生トリオはいずれも一塁手。だが、守りに不安を抱え、他のポジションが考えづらい佐々木や佐倉に対し、真鍋はアスリートタイプのスラッガーで、将来を見据えて他のポジションへの適応も今後は試されていくのではないだろうか。 一冬をこえ、この怪物たちがどんな進化を遂げて甲子園に姿を現すのか。来春のセンバツが今から待ち遠しい。
2021.11.25 07:00
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プロ注目の「高校BIG3」といってもイマドキの高校生だ(左から森木、小園、風間)
ドラ1候補「高校BIG3」小園・森木・風間を繋ぐ「イマドキ球児のSNS事情」
「プロ野球ドラフト会議」が10月11日に開催される。今年の高校生の注目株で、競合が予想されるのが市立和歌山の小園健太、高知の森木大智、ノースアジア大明桜の風間球打の「高校BIG3」だ。実はその3人は直接の面識はないものの、「SNS」を通じて頻繁に連絡を取り合っているという。ノンフィクションライターの柳川悠二氏が、ドラフト候補の高校球児たちの“イマドキ”なスマホ事情をレポートする。   * * *  夏の甲子園決勝が行なわれた数日後、プロ志望届を提出したばかりの小園を訪ねると、「昨日も森木とは電話しました」とこっそり教えてくれた。  「森木はトレーニングに対する意識が高い。体幹トレーニングを教えてもらっています」   はて、小園と森木はこれまでいったいどこで接点があったのだろうか。   小園は今春の選抜で甲子園のマウンドに立ったものの、森木は高知県内のライバル・明徳義塾の牙城を崩せず、聖地の土を一度も踏めなかった。中学時代も小園が硬式、森木は軟式の出身で接点がないはずだ。  「森木とは会ったことがありません(笑)。インスタグラムでダイレクトメッセージを送って、LINEを教えてもらいました。(天理の)達孝太も連絡先を知っています。達は自分にない身長(193センチ)を持っている。ちょっとだけ羨ましく思ったりします」   これまでトップ選手の交流の場といえば、夏の甲子園後に招集され、国際大会に臨むU−18侍ジャパン(高校日本代表)だった。18歳の球児が長い時間を共にし、将来の夢を語り合う中で、それまで大学や社会人野球に進もうと考えていた球児が一転して、プロ志望届提出を決断することも珍しくない。   だが、昨年、今年と新型コロナウイルスの感染拡大によって国際大会が中止となり、招集は見送られている。世代を代表するような球児にとって、高校日本代表に代わる交流の場が、インスタグラムやツイッターなど「SNS」となっているのだ。小園によれば、同じドラ1候補のノースアジア大明桜の風間ともSNSを通じて連絡を取り合っているという。  「1年生の頃からずっと、U−18は目指していました。それがなくなったのは残念ですが、いつか日の丸を背負えるように頑張っていきたいです」(小園)   また小園と中学時代からバッテリーを組む松川虎生(こう)も今年の高校生を代表する強肩強打の捕手で、ドラフトに自身の将来をゆだねる立場だが、今夏の甲子園の準決勝の夜、ある球児からLINE電話が入ったという。  「今日の俺のバッティング、どうやった?」   そう感想を求めたのは、和歌山大会の決勝で敗れた智弁和歌山の4番で、翌日に決勝を控えていた徳丸天晴だった。  「和歌山で戦ったライバルとして、意見を求めてくれたのは嬉しかったですよ。他にLINEでやりとりするのは、愛工大名電の田村俊介。中学生の時に『ビートたけしのスポーツ大将』(テレビ朝日系)という番組に一緒に出たんです。軟式野球部のはずなのに、打席では硬式球をバンバンスタンドに放り込むんです。えぐいな、と思って以来、交流があります」(松川)   SNSの利用を禁止する野球部もあるが、こうして交流が生まれ、互いに刺激を受け、さらなる成長の一助となるなら利用価値はあるだろう。スマートフォンやiPadなどのデバイスは、今や練習で欠かせないアイテムだ。素振りや投球フォームを記録するだけでなく、YouTubeでプロ野球選手の動画を観て参考にしたり、トレーニング動画で研究している球児は多い。   昨年、仙台育英(宮城)の練習に行くと、選手たちが監督室で須江航監督の練習メニューの指示を聞きながら、携帯電話にメモしていた。きっと部員でメモの内容を共有するのだろう。   一方で、携帯電話の利用を禁止する学校もある。有名なのは、名門・大阪桐蔭だ。西谷浩一監督にその理由を訊いた。 「野球部だけでなく学校が持ち込みを禁止しているからです。時代が変化しているのは理解していますし、色々と活用法があるのはわかっていますが……」   大阪桐蔭の野球部は全員が寮生活だ。せっかく野球に集中する生活を送っているのに、そこにスマートフォンがあると邪念が生まれたりする懸念はあるだろう。大阪で大阪桐蔭と並ぶ名門の履正社も、携帯電話は学校の規則で禁止だった。ところがこの7月から解禁となった。岡田龍生監督にその理由を訊ねた。  「携帯電話を禁止している大阪の私立は、うちと大阪桐蔭と、たしかもう1校あるかないか。これだけ携帯電話が普及している時代に、逆行する流れではありましたよね。今は解禁になったばかりで、細かなルールを職員同士で話し合っています。   うちの野球部の場合、選手は『通い』ですから、これまで雨で練習試合が決行できるかどうか不安な時など、遠方から通う選手は途中で公衆電話から連絡を入れることもあったんです。そうした連絡も、携帯電話を許可していたら共有しやすい。それは保護者への連絡も同じです。ただ、寮生活の野球部は導入しないほうがいいかもしれない。ややこしいことが部内で起こった時に、情報が親にダダ漏れになってしまうから(笑)」   今ではグラウンドにポケットWi-Fiを持ち込み、岡田監督自ら選手のバッティングを動画撮影し、選手の携帯電話に転送することもあるという。投手の投じるボールの回転数や回転軸、球速などを計測する「ラプソード」を導入する学校も増えている今、携帯電話もまた球児の成長に必須の練習器具といえるかもしれない。  ■取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター) 
2021.10.08 16:00
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高知高校・森木大智の軌跡を振り返る
ドラフト注目・森木大智はなぜ甲子園に出られなかったのか【前編】
 10月11日、プロ野球のドラフト会議が開催される。今年の注目は「高校BIG3」と呼ばれる3人の高校生右腕だが、そのなかに一度も甲子園の土を踏めなかった球児がいる。高知高校の森木大智。「150キロを投げた中学3年生」として注目を集めながら分厚い壁に阻まれ続けた森木の軌跡を、ノンフィクションライターの柳川悠二氏がレポートする。(文中敬称略。前後編の前編) * * * 秋のドラフト会議(10月11日)まで2週間というのに、高知高校のグラウンドは30度を超える蒸し暑さに包まれていた。 来春のセンバツを目指して練習に励む後輩たちから離れたブルペンで、森木大智は学校が借りているという「ラプソード」(ボールの回転数や回転軸、球速を計測する機械)を使ってストレートの回転数(毎分)を計測していた。ある一球を投じた時、森木が驚きの声をあげた。「おおおっ、メジャーリーガーの数値が出た(笑)。でもこれ、絶対に(計測器の)バグっしょ」 トータルスピン量が「2730」と表示されたのだ。甲子園に出るような球児でおよそ2000回転、山本由伸(オリックス)や千賀滉大(福岡ソフトバンク)といった日本プロ野球のトップ選手が2500回転程度とされる。異次元のスピン量に計測器の不具合を疑っていたが、無限大の可能性を感じるボールであることには違いない。「自分のストレートは(ボールの傾きを指す)ジャイロ成分が強く、抜けることもある。できるだけ綺麗な真っ直ぐの回転で、ボールが打者のバットの上を通過するイメージを追求したい。もちろんストレートだけでは抑えられない。こうした機械も使って、変化球の精度も上げていきたい」 中学時代に軟式球で150キロを記録し、森木は今年の高校3年生世代で誰よりも早く、大きな注目を浴びた。 だが、一度も甲子園のマウンドを踏むことなく、2年半の高校野球生活を終えた。 森木を初めてインタビューしたのは高校入学直後の2019年春だった。「小さな頃からずっとプロ野球選手になりたいと思っていました。(中高一貫校の)高知中学を選んだのも野球を職業にするためです。中学生というと、身体が成長し、変化していく時期。規則正しい生活を送って、しっかり食事も摂って、野球やトレーニングの知識を増やしていきたいです」 同校監督の浜口佳久は長く系列の高知中学で軟式野球部の監督を務め、森木を擁して中学日本一を達成。直後の2018年秋に高校の硬式野球部監督に就任していた。 もし浜口が監督に就任しなければ、熱心な勧誘を受けていた大阪桐蔭や中学時代に日本一を争ったライバルがいる宮城・仙台育英に森木は進んでいたかもしれない。浜口監督と共にもう一度日本一を目指す──それが高知高校に進学した理由だ。また中高一貫校の場合、高野連に届け出れば、中3の秋から高校の練習に参加できることも、軟式から硬式にボールが変わる森木には幸いした。当時、浜口はこう話していた。「中高一貫校に導くということは、その子の幼少期、小学生時代から関わることになる。少年野球時代の故障とか、ポジション歴を頭に入れた上で、中学で指導にあたれるのは大きいです。どこまで無理をさせられるのか、どういう成長段階にあるのか、ということを把握しているわけですから」「甲子園は5回出たい」 当時の森木は高校野球では何の実績もない一球児に過ぎなかった。それでも、150キロという数字が一人歩きし、怪物の登場を待ちわびる高校野球のファンは過度な期待を寄せてしまうもの。誰より森木自身が、未来にこう期待を抱いていた。「目指す球速は165キロですが、150キロのキレのあるボールを安定して投げたい。ホームランも、最終的には50本ぐらいは打ちたい。そのためにも甲子園はこの1年の夏から出て、卒業までに5回出たい」 高い頂を目指すのであれば、15歳の時点でこれくらいの大言を口にできなければならないだろう。 しかし、私がこの発言を記事にしたことで、あの名伯楽にして策士、甲子園通算54勝(2021年現在)を誇る明徳義塾高校監督・馬淵史郎の闘志に火をつけることになる。 野球王国・高知といえば、明徳義塾。明徳といえば馬淵だ。1992年夏の甲子園で、星稜(石川)の松井秀喜に対し、5打席連続敬遠を指示し、高校野球界一の嫌われ監督となった馬淵も、2002年夏には全国の頂点に立った。 明徳が長く高知で一強時代を築き、古豪・高知高校は夏に限っては2009年を最後に甲子園から遠ざかっていた。森木が聖地にたどり着くために、越えなければならない大きな城壁が馬淵だった。 その一方で、馬淵も窮地に立たされていた。高知中学とライバル関係にあった明徳中学で、テレビなどにも取り上げられていた関戸康介(大阪桐蔭)、田村俊介(愛工大名電)というふたりの有望選手が明徳義塾進学を選ばなかったのだ。さらに森木という豪腕が県内にいることで、明徳中学の約10人が明徳を離れるというのっぴきならない事件が起きていた。 甲子園で激闘を演じた横浜の渡辺元智が勇退し、智弁和歌山の高嶋仁も高校野球の現場を離れた。いずれも馬淵にとっては大先輩だが、同じ時代を生きた名将が監督を退く中で、還暦を過ぎてなお強烈なカリスマ性を誇示していた馬淵の求心力も失われつつあるのではないか。 そして人里離れた谷間に位置する「野球道場」と名付けられたグラウンドで、野球漬けの日々を送ることを、現代の球児は敬遠しているのではないか。森木が高校生となった頃、野球道場で馬淵にぶつけたことがある。「そうは思わんよ」 その静かな声色には怒気もこもっていた。 馬淵時代の終焉か、そして森木が飛躍するのか──。その答えが出るのが、森木が3年生となる2021年夏だった。現代の高校野球を代表する名将にかように無礼な質問を投げかけたからには、顛末を見届けようと高知に通い続けた。(後編に続く)取材・文/柳川悠二(やながわ・ゆうじ)ノンフィクションライター。1976年、宮崎県生まれ。法政大学在学中からスポーツ取材を開始し、主にスポーツ総合誌、週刊誌に寄稿。著書に『永遠のPL学園』(小学館文庫)。2016年、同作で第23回小学館ノンフィクション大賞を受賞。※週刊ポスト2021年10月15・22日号
2021.10.07 16:00
週刊ポスト
甲子園で力投する明桜先発の風間球打投手。帽子のツバはまっすぐ(時事通信フォト)
2年ぶりの甲子園大会で、野球帽のツバの曲がり具合の変遷について考えてみた
 2年ぶりの開催となった高校野球、夏の甲子園大会。テレビ中継される白球を追う球児たちの姿を見ながら、ああでもないこうでもないと高校野球ファンがSNSでも意見を交わしているが、彼らの間で今年、球児の帽子のかぶり方が話題になっていた。ライターの森鷹久氏が、高校球児の帽子のかぶり方、とくに「ツバ」の形の変遷についてレポートする。 * * * コロナ禍、そして豪雨に見舞われながらも、日々熱戦が繰り広げられている夏の甲子園大会。日に焼けた高校球児たちのハツラツとしたプレーはいつ見ても気持ちが良いものだが、この数年、選手たちにある変化があると話すのは、長年高校野球をチェックしてきたスポーツ紙記者だ。「ズバリ帽子のツバですね。かつてはツバをカクッと曲げ、しっかり型付けをするのが高校球児たちの『常識』でした。しかしこの数年、ツバを曲げる選手がかなり減ってきています」(スポーツ紙記者) そう言われると確かに、ツバが思い切り曲がった帽子を着用している選手が少ないようにも思える。もちろん、元の帽子の形状もチームごとに微妙に違ったり、かつての帽子よりもデザイン性の高い、浅めに被ることができるスポーティーな帽子を着用しているチームもある。だが、昔に比べると「ツバ曲げ」が減っていることは事実のようだ。「今、プロの第一線で活躍しているスター選手たちも、高校時代に着用していた帽子は、やっぱりツバが思いきり曲げられている。日ハムから巨人に電撃移籍した中田翔選手しかり、ソフトバンクの今宮健太選手しかり。ただ、それが『ダサい』とされてきたのも事実です」(スポーツ紙記者) 中田も、名門「大阪桐蔭高」時代には、ご多分に洩れず「ツバ曲げ」帽子を着用していたが、プロ入り後にツバがまっすぐな帽子を着用するようになった。また、今宮も大分の名門「明豊高」時代には、ツバが極限まで曲げられた帽子を着用していた。 今宮の場合は、ツバだけでなく帽子のロゴ部分など帽子全体に極端な「型付け」しているのも特徴で、帽子の形が完全に変形し、頭の上にちょこんと乗っかったスタイルが、高校野球フリークの間で話題となった。今宮に憧れて、帽子を無茶苦茶な形に型付けしている中高生も多かったことを筆者は記憶している。今宮はプロ入り後も、それほど極端なものではないが「ツバ曲げ」帽子を着用し続け、そのこだわりが伺える。 最近の高校球児の帽子がどうかというと、ツバは若干湾曲しているか、もしくは真一文字に真っ直ぐにしている例も散見される。これが最新の高校野球トレンドなのか。だとしたら、そのトレンドはなぜ生まれたのか。神奈川県内の県立高校野球部でコーチを務める中原幸雄さん(仮名・50代)が、持論を展開する。「高校球児が見た目でアピールできる部分といえば、帽子のツバくらいでしょう(笑)。それでなくとも、球児は野球漬けで、野球界以外の価値観を知らない場合もある。野球界という限定的な世界の中では、ツバ曲げがかっこいいとされていたんでしょう。金ネックレスや派手なセーターがプロ野球選手に好まれるみたいなもんかな。強豪校や、やんちゃな生徒が多い高校のチームの選手ほど、そうした傾向がありました」(中原さん) しかし、中原さんの最近の教え子に、極端なツバ曲げをする選手はいない。「帽子を頭にフィットさせるためツバを曲げる子もいますし、守備の際にはツバの形状によってボールの見えやすさが変わる、なんて意見もあるでしょう。一方で全く曲げないことが『かっこいい』という子もいる。また、最近の大リーガーや日本のプロ野球選手でも、ツバを一切曲げない選手も少なくないです」(中原さん) 千葉県内の強豪校に在籍する現役高校球児・中村裕翔さん(仮名・16歳)によれば、チーム内にはツバ曲げ派と真っ直ぐ派、それに購入した時のままの自然な感じに湾曲したツバの形状を保ち使うという「三派」が存在するというが、やはり「極端」派はほぼいないという。「地方の強豪校選手の帽子が曲がっているな、と思うことはありますけど、人それぞれって感じです。あんまりやりすぎると、テレビ中継で目立ってしまい、SNSにあげられてネタにされるんじゃないかと思いますけど(笑)。高校時代の今宮選手の帽子……、すごいですよね(笑)。イキってるけど上手いし、チームのリーダーって感じ。投球するたびに帽子が落ちたりして、審判に注意されることはなかったんですかね……」(中村さん) 小中高大と野球漬けの日々を過ごし、社会人になった今でも地元のクラブチームに所属し野球を続けているという会社員・橋本晃さん(仮名・30代)は、この「帽子の変化」の分岐点を見た、と力強く証言する。「野球部って基本みんな坊主だから、思春期でオシャレに目覚めた子なんか、プライベートでは帽子が手放せないんです。我々の現役時代に流行ったのが『NEW ERA(ニューエラ)』の帽子です。ヒップホッパーなどがかぶるイメージでしたが、球児にとっても憧れの存在で、皆が競って『ニューエラ』の帽子をかぶっていました。この帽子は、ツバを真一文字にキープして着用するのがカッコいいとされていて、私も、部活用の帽子のツバをまっすぐに戻した経験があります」(橋本さん)『ニューエラ』といえば、今では老若男女を問わず人気の鉄板カジュアルブランドだが、当時のその目新しさに、球児たちが羨望の眼差しを向けていたという。米・メジャーリーグの動静がいつでもわかるようになった時代で、『ニューエラ』の帽子を被り大活躍する大人気メジャーリーガー達が影響している可能性もある。これらだけが「変化」の理由というわけではないだろうが、ある意味で、狭い高校野球界でも多様な価値観が形成されるきっかけの一つだった、ということかもしれない。橋本さんが続ける。「でも、新しけりゃいいってもんじゃないし、高校野球界に浅めの帽子が流行った時も、結局なんだかしっくりこなくて、元に戻したという学校もありました。ユニフォームだって、アマスポーツ界では高校野球だけが奇抜さを嫌いますし、帽子のツバにしても最近の子は『自然な形がいい』とか『人それぞれだよね』と言いますよ。その中での精一杯の自己主張が『ツバ』なら、かわいいもんじゃないですか」(橋本さん) ツバがこれでもかというくらいに曲げられ、坊主頭の上に帽子が乗せられただけのスタイルの球児を見てニヤニヤするのも、そしてその球児が大活躍して一気に「ファン」になってしまうのも、高校野球観戦ならではの醍醐味に違いない。「真一文字」のツバスタイルは極端になりようがないとも思えるが、独自の工夫をこらし、どう変化を遂げていくだろうか。
2021.08.28 07:00
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準々決勝で智弁学園サヨナラ負けを喫した明徳義塾の馬淵監督(左)
敗れてなお存在感 明徳の馬淵史郎監督「時代遅れ」評価への反骨
 夏の甲子園で、史上初めてベスト4を近畿勢が独占した今大会。雨天順延が続いても自校の施設で調整できる“地の利”などの要因が指摘されたが、そうしたなかでその牙城を崩すところまであと一歩だったのが、準々決勝で智弁学園(奈良)にサヨナラ負けを喫した明徳義塾(高知)だった。試合後に近畿勢の強さに言及した「敗戦の弁」が注目された馬淵史郎監督(65)だが、今年のチームでは例年以上に、近畿地方の強豪私学のような“巨大戦力”に対抗したい思いがあったのではないか──ノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。 * * * 雨とコロナにたたられたこの夏の甲子園で、3勝を挙げて甲子園通算勝利数を54(歴代4位)にまで伸ばした高知・明徳義塾の馬淵史郎監督は、準々決勝で奈良の智弁学園にサヨナラ負けを喫し、聖地を去った。「体が大きくなく、パワーもなければスピードもない。そんなチームがセンバツに出て、夏もこうやって甲子園にたどり着いた。170センチを切るような小さな選手が5人おっても、ここまで(準々決勝)までは戦(や)れるんだということは証明できた。バントで送って手堅く1点を取りに行く。うちがやったのは“高校野球”ですよね。全国で頑張っている球児に勇気を与えたんじゃないでしょうか。3年生には『ごくろうさん』と本心から言いたい」 いつも甲子園を去る時には敗因をとうとうと語り、その日のうちに宿舎も引き上げて高知に戻り、翌日から練習するのが明徳義塾だ。だがこの日の馬淵監督は2002年夏以来となる日本一の夢が潰えた悔恨は抱えていても、まずは3年生に対する労いの言葉を口にしていた。 高知大会のチーム打率は.315と低調で、盗塁は4試合でゼロ。代木大和というドラフト候補のエース左腕はいても、大阪桐蔭や智弁学園、智弁和歌山などと比べればどうしても見劣りしてしまう選手たちを、野球道場と名付けられた明徳のグラウンドで馬淵監督は鍛え上げてきた。3年前にあった有力選手流出という危機 今年の3年生が入学して以来、明徳は一度も甲子園を逃していない。2019年夏の甲子園のあと、2020年春のセンバツは出場を決めていたものの大会が中止となり、同年夏の甲子園交流試合に出場。昨秋は高知大会を制して四国大会に進んで今春のセンバツ切符を手にし、そしてこの夏も聖地にたどり着いた。 彼らが入学する直前、馬淵監督は窮地に立たされていた。当時、附属の明徳義塾中学にはふたりのスーパー中学生がいた。既に球速140キロを記録してテレビなどにも取り上げられていた右腕の関戸康介と、左のエースで打撃にも定評があった田村俊介だ。だが、関戸は大阪桐蔭へ、田村は愛知の愛工大名電に進み、それ以外の選手も10名ほどが卒業を前に明徳を離れ、他の高校に進学した。 もちろん、進学先の選択は本人たちの自由だ。ただ、馬淵史郎という強烈なカリスマ性のある監督のいる明徳への進学をこぞって回避したというのは、高校野球における“事件”だった。 2019年のセンバツが開催されていた時期、私は明徳の野球道場に足を運び、ふたりの入学を心待ちにしていた馬淵監督を直撃した。「わしも引き留めはしたんやけど、よその学校に行きたいというのなら仕方ない。選手を鍛え上げて強くするのではなく、素材の良い選手を集めたところが甲子園で勝つ。高校野球が面白くなくなってきておる。『せっかく3年間をここで過ごしたんやから、もう3年間、明徳で過ごして花を咲かせたらどうや』という話はしました。でも、『よその方が強いから』と言われたら、こちらは何も言いようがない。親御さんの意向もある。隣の芝は青く見えるんやろうね……」 高知空港からいくつも山を越えた先の人里離れた谷あいに位置する明徳義塾で、全員が寮生活を送り、野球漬けの毎日を過ごす。そうした明徳への野球留学を、現代のプロ野球を目指すような有望球児は敬遠しがちなのではないか──そう質問をぶつけた時、声色は変わった。 「そうは思わんよ。ここ3年、明徳から3人(2016年古賀優大・ヤクルト、2017年西浦颯大・オリックス、2018年市川悠太・ヤクルト)がプロに入っているし、甲子園でも成績を残しているんやから」高知高校のスーパー右腕・森木の前に立ちはだかる 明徳が窮地にあると思われたもうひとつの要因は、高知中学から高知高校への進学が予定されていたスーパー中学生・森木大智の存在だ。中学生ながら150キロの球速を記録した森木は、馬淵監督の前に立ちはだかる怪物であり、とりわけ平成に入ってから県内で一強に近い独壇場を築いてきた明徳を脅かす存在だった。馬淵時代が終わるかもしれない──そう思わせるほどの逸材だった。「強力なライバルがいるからこそ、明徳で勝負したいと考える選手もいれば、よそへ行ったほうが甲子園に出やすいと考える選手もいる。明徳を選んでくれて入ってきてくれた選手を鍛えて強くするのが明徳の野球や。ふたりのことは残念やけど、入学してくる選手にもええのがおる。まあ、楽しみにしとってや」 直後、入学してきたのが今回の甲子園で活躍した代木大和であり、1年から遊撃を守り、「私が見た選手で一番肩が強い」と馬淵監督が語る主将の米崎薫暉(くんが)だった。 今大会は、1回戦では馬淵監督同様、策略家である鍛治舎巧監督率いる県立岐阜商業をサヨナラで下し、2回戦ではノースアジア大明桜(秋田)の157キロ右腕・風間球打を攻略。明徳ナインは、高めのストレートとボールになる低めの変化球を徹底的に見極め、風間に5回までに118球を投げさせスタミナを削った。 3回戦の松商学園戦の前日には、1、2回戦で不調だった代木に対して、投球フォームに“間”を作るよう指示し、試合ではその代木が力の乗ったボールで松商打線を完封した。敗れた智弁学園戦では、春にサイドスローを試すように指示して才能が花開いた吉村優聖歩(ゆうせふ)を先発に起用。一度、打者に背を向け、極端に一塁側へインステップしてから腕をムチのようにしならせて投げる超変則投法で、強打の智弁打線を翻弄した。  明徳野球は即ち、馬淵野球だ。現代の高校野球で、試合中にここまで監督の色が出る学校も明徳ぐらいだろう。 この夏の甲子園は、ベスト8に大阪桐蔭を除く近畿圏の5校が残り、智弁和歌山、近江(滋賀)、京都国際、智弁学園でベスト4を独占する異例の大会となった。近畿勢が席巻した要因について、智弁学園戦後に馬淵監督はこう話していた。「これだけ雨で延びたら、われわれ地方の学校は練習することがないんですよ。地元(近畿)の学校は自分とこの雨天練習場でやれると思いますけど、われわれは練習場を確保するのも難しい。それともうひとつ、近畿の高校野球のレベルはやはり高い」 明徳を去った大阪桐蔭の関戸は、「バランスを崩していて、投げられる状態にまで持って行ってあげられなかった」と同校の西谷浩一監督が話したように、大阪大会、甲子園を通じて一度もマウンドに上がることなく、卒業後は東京の大学へ進学することが有力だ。優勝候補の一角と黙されていた愛工大名電の田村は初戦で姿を消した。そして、2年前の春、「5回甲子園に行きたい」と私のインタビューで語っていた森木は、最後の夏も決勝で明徳に敗れ、2年半の高校野球生活で一度も甲子園の土を踏むことができなかった。 高知大会の決勝の日、馬淵監督はこう話したという。「(森木が入学した時期に)甲子園に5回出たいという記事を読んだ。野球はそう甘くはない。素材は抜群やけど」 兎にも角にも、馬淵監督の前を通り過ぎていった球児が高校野球を終えてゆく中、明徳のナインはベスト8まで勝ち上がった。撮影/杉原照夫
2021.08.28 07:00
NEWSポストセブン

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