子供たちがインターネットを通じて様々な情報にアクセスできる時代、「今まで通りの性教育でいいのか」という声が現場から上がり始めている。
日本の学校における性教育の歴史を遡ると、「性」についての話題は長く、ある種の“禁忌”として扱われてきたことがわかる。1947年から文部省社会教育局の掲げた「純潔教育」では、「私娼の取締り」と「性道徳の昂揚」などを図るのが主で、性の科学や性行為・避妊についての知識は得られないものだった。
『おうち性教育はじめます』の共著者で性教育研究者の村瀬幸浩氏は戦後すぐから1970年代に至るまでの性教育についてこう解説する。
「月経や出産について女子は一応学ぶ機会があったが、男子は関係ないから知らなくてもいいとされていた。純潔教育は女子向けとされ、男子への性教育は皆無と言ってよかった。1941年に生まれた私も性への関心が湧いたときはエロ本や雑誌を読むしかない、思えば誠に貧しい少年時代でした」
日本の性教育が新たな局面を迎えるのは、1980年代後半になってからだ。
1987年に日本人女性初のエイズ感染者が神戸で発生。当時エイズは同性間の性交渉で感染すると認識されていたため、同性愛者ではない患者が出たことで「エイズパニック」が起きた。これをきっかけに、学校での性教育が重要視されるようになる。学習指導要領が改訂され、中学校からだった性教育関連の授業が小学校でも行なわれるようになった1992年は「性教育元年」と呼ばれた。この年に、小学校で初めて保健体育の教科書が使われるようになり、1995年に「ペニス」や「ワギナ」など性器の名前が記載されるようになる。
ところが、2000年代に入ると今度は現場での性教育について“行き過ぎだ”という批判が地方議会を中心に巻き起こる。
発端は2003年の東京都議会でひとりの都議が都立七生養護学校(現・特別支援学校)で実施されていた性教育の内容を「過激性教育」だとして都教委に対応を求めたことだった。
都議会で取り上げられた「こころとからだの学習」は、知的障害のある児童が性交や性器について正しい知識を身につけ、自分の体を守ることを目的としたもので、分かりやすいように人形や歌を使用していた。