2021年6月の撮影の様子。旧知の山本氏ということもあり、撮影は終始和やかな雰囲気で進んだ
父・晋太郎氏の遺影も撮影していた
山本氏が晋三氏の写真を撮るようになったのは、30年以上前に父・晋太郎氏の密着取材をしていた縁があったからだ。外相や自民党幹事長などを歴任した晋太郎氏の外遊に同行撮影する機会も多く、その時には晋太郎氏の隣にいつも晋三氏の姿があったという。そうした関係もあり、1991年に死去した晋太郎氏の葬儀では、山本氏が撮影した写真が祭壇に飾られた。
そのことを晋三氏がスピーチの“ネタ”に使ったことがあった。2003年、山本氏が著書『来た、見た、撮った! 北朝鮮』で第35回講談社出版文化賞写真賞を受賞した際の記念パーティに駆けつけ、こう挨拶したのだ。
「私の父も山本さんに撮ってもらった写真が遺影になりました。他にも何人かの遺影を撮影していまして、 “山本さんの手で撮られると遺影になってしまう”。だから私は山本さんに撮ってもらうのは、もっと後にしてもらいたい(笑)」
当時の晋三氏は幹事長に就任したばかり、「次の総理」の最有力候補として権力の頂点を目指していた頃。晋三氏のジョークに会場は笑いに包まれたのだが、それから19年後に追悼の場で山本氏の写真が使われることになってしまった。
「隣でスピーチを聞いていた時は、“私より一回りも若い晋三さんの遺影はあり得ないよ”なんて返しましたが、まさかこんなことになるとは何とも因縁を感じますし、悲しいとしか言いようがありません。それでもこうして私の写真が『安倍晋三の記録』となったことはカメラマンとして感慨深いものがあります」(山本氏)
国会議事堂に最後の別れを告げた晋三氏の写真は、野田氏の追悼原稿とともに自宅に飾られている。