「故郷の錦」に造ったひばりさんのお堂
前述の通り、一部の芸能関係者の間では上杉氏と美空ひばりさんの関係は有名だった。
「上杉氏とひばりさんとの出会いのきっかけは、ひばりさんの『ハワイバカンス』だったと聞いています。多忙を極めていたひばりさんが、“1か月ほどハワイでのんびりしたい”と希望した。彼女の関係者が、“お忍びで行けるハワイのリゾート施設を紹介してくれないか”と、上杉氏の知人に依頼したのが始まりです」(上杉氏の知人)
のちにその知人がひばりさんのディナーショーに招待され、上杉氏も同席したことで顔なじみになっていった。
「上杉氏は、景気がいいときは惜しげもなくお金を使い、とにかく太っ腹だった。トークも軽妙で、女性には優しい。ひばりさんも絶大な信頼を寄せていたようです」(前出・上杉氏の知人)
晩年、病に倒れたひばりさんが、治療費の融通を頼んだのも上杉氏だった。
「死の2年前、ひばりさんが福岡・博多の中心部にある『済生会福岡総合病院』に入院したのも、上杉氏らの紹介があったからだといいます」(別の社会部記者)
ひばりさんの生前から「後見人」になって資産を管理し、亡くなった際には、上杉氏が葬儀の一切を取り仕切った。京都・嵐山に「美空ひばり館」を建てたのも、上杉氏の発案。同館はオープンした1994年に入場者が100万人、4年目には300万人が足を運び、没後もひばりさんの存在の大きさを物語るのに一役買った。
「後に民事再生法の適用を申請し手放すことにはなりますが、ゴルフ場は上杉氏にとって、若い頃に飛び出した故郷に錦を飾る気持ちもあったのでしょう。その大切な地に、ひばりさんのためのお堂も造った。お堂には、その歌声で世間を魅了したひばりさんの『のどぼとけの骨』が置いてあるという触れ込みでした。真偽のほどはわからず、宣伝の目的もあったのでしょうが、ひばりさんへの愛情も感じました」(前出・伊藤氏)
昭和の歌姫・ひばりさんは、「最後に頼った男」のいまに何を思っているだろうか。
※女性セブン2022年11月24日号