惜しまれつつもこの世を去った7人への「別れの言葉」特別寄稿:わが友への「最後の手紙」 激動の2022年が幕を閉じようとしている。思い返せば今年は政財界や芸能界で多くの著名人がこの世を去った。愛して止まないあなたへ。山田隆夫(落語家)が三遊亭円楽師匠(9月30日没、享年72)へ“最後の手紙”をしたためた。
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僕にとってあなたは、六代目円楽っていうよりも三遊亭楽太郎の名前で頭のなかに残っています。ですからここでも、楽太郎師匠と呼ばせていただきますね。
楽太郎師匠は『笑点』で(桂)歌丸師匠に「いつ死ぬんだ?」と言ってみたり、僕に「山田クビだ」と言ってみたり、口の悪い「腹黒キャラ」が定着していました。でもそれは師匠が心からそうだったからではなく、五代目圓楽師匠の「お前は嫌われ者になれ」、歌丸師匠の「俺のこと、ポンポン悪口言っていいから」という助言に従ってなったものでした。そういえば、僕が(林家)こん平師匠を後ろから蹴っ飛ばすくだりも五代目の時にできたものでしたよね。
しかし、僕は知っている。楽太郎師匠は本当は誰よりも優しくて面倒見のいい師匠であるということを。
僕が座布団運びとして『笑点』に入った時、メンバーで歳が一番若かった師匠は、僕を弟分みたいに可愛がってくれました。「相撲部屋行ってみる?」と誘ってくれたり、僕がそれまで知らなかった世界を見せてくれた。怖い師匠は世の中にたくさんいるけど、楽太郎師匠ほど優しく面倒をみてくれる師匠はいませんでした。
師匠が大ファンで年間シートを持っていた全日本プロレスの試合にもよく一緒に行きましたよね。後楽園ホールでの試合後には、タイガーマスクさんや天龍源一郎さんら選手全員に焼肉を振る舞う師匠の姿を見て、落語のお弟子さん以外に対してもそうだから、なんて面倒見のいい師匠なんだ、と思っていました。
自分の奥さんを絶対に表に出さない師匠でしたが、僕とは家族ぐるみでハワイ旅行に出かけたり、親しくお付き合いしてくれました。家族でよく焼肉を食べに行ったり、ゴルフをやったり……。