落語家の山田隆夫(時事通信フォト)
「山田は並だよ」
そればかりか、こんな偶然もありましたね。
僕の長男が生まれた時、自分の父と祖父の名前を一字ずつもらって「太一」と名付けたら、後から楽太郎師匠は「それ、俺が子供に付けたい名前なんだよ」って言い出した。僕に「ほかの名前にしろよ」って随分文句を言いましたが、結局、師匠は自分のお子さんに「一太郎」と名付けました。
そう思うと、僕は師匠とのプライベートの思い出が強すぎるくらい、濃密なお付き合いでした。それを思い出すだけで涙が出てきます。
最後に会ったのは、今年8月、『笑点』の収録に楽太郎師匠が遊びにきた時でした。師匠はみんなに特上のうなぎ弁当を差し入れしてくれましたが、「山田は並だよ」って僕にだけ並を渡してきた。それが一番笑いが取れるって知っているから、師匠は病気でつらい時でも周りを笑わせようとしてくれたんですよね。
「皆さんご迷惑かけてすみません」って泣きながら言う一方で、「みんなに会いたかったよ。こんな山田でも会いたかったよ」って。それでみんなでうなぎを食べて、笑いながら帰って行った。その背中が、この目で見る師匠の最後の姿になりました。
思い返せば、晩年は病魔と闘い続けた年月でした。手術で開けられた8か所の傷口を一度見せてきて、「手術後は本当に痛くて痛くて、普段はどんなことでも泣かない俺が、これだけは泣いた」と言うあなたに、僕は「大変でしたね」と声をかけるのが精一杯でした。治療とリハビリだらけの3年間は、本当におつらかったと思います。
これからはゆっくり、五代目圓楽師匠、歌丸師匠とみんなで楽しく、天国から見守ってください。『笑点』は今までどおり団結して、もっと面白くしていきますから。
※週刊ポスト2022年12月23日号