美術研究にはつきものの真贋や作者の判定が実際はどれほど地道な作業を要するかも本書では垣間見え、これは本物、これは偽物と、結論だけに踊らされる方がつまらない気がしてくる。
「もちろん美術書に載るような絵は大抵本物ですけど、その奥にどれだけの類品があるかを考えれば、真贋を見極めるまでの我々の努力というのは並大抵ではない。
それこそ『山中常盤』が当時の熱海美術館に入った頃、山根先生と助手の方と3人で行きました。35ミリの脚立式複写機を持ってって、『山中常盤』や『堀江物語』など計36巻を丸3日かけて撮影した。
まだ公開前だから現物を見るなり先生も私も興奮しちゃってね。それが後々、『山中常盤』の作者は又兵衛を含む工房的集団だという説に結実するわけです。これは本物だと、自分達だけが凄い作品の秘密を知ってる瞬間なんて、やっててよかったと思うよね」
精神の営みにまで踏み込んで考える
他にも研究所等での表の仕事と対を成す蕭白らとの邂逅や、短期連載〈江戸のアヴァンギャルド〉を企画し、『奇想の系譜』へと繋げた美術出版社・森清凉子氏の先見性。また若冲の世界的コレクター、ジョー・プライス夫妻との友情や、母の死後、失意の著者に父親がかけた〈美術史が人の役に立たないとは思わん〉という言葉など、公私を問わない人との縁がかくもお茶目な知性を形作ったのか。
「若冲に関してもプライスさんや私は情報を提供しただけで、ブームは自発的なんです。実は若冲の絵ってボーッと観てても大して感激しない。なのにじっと目を凝らすと、1cm四方にまだ描くのかと驚くような執念がある。でも、普通はそこまで人は観てくれない。
それでも書かずにいられない点はラスコーの壁画にも通じるし、若冲の場合は仏教信仰も加わって、『動植綵絵』は名声のためでなく、仏への証文として描いたと、自ら寄進状に記している。私の絵は理解されるのに千年の時を待つという彼の言葉は、あるいはそういう意味かもしれませんね」