39歳の放哉。神戸・須磨寺大師堂の前で(写真提供:鳥取県立図書館)
自然と手を合わせたくなる
死の直前、冬から春へと季節が移り変わる時期に詠まれたらしい句もある。ごく短いが、放哉の脳裏に残された一瞬の光景を切り取っている。
「霜とけ鳥光る」 放哉
〈「霜解(しもどけ)」は冬の季語で、朝日に照らされ輝いていた霜が日中に気温が上がり、解けていくことである。太陽の光を浴びて霜が解けていく光景も光に満ちているが、空を飛ぶ鳥もまた太陽を受けて光っている。無駄なものを排除した短律であり、複雑な言葉も一切使っていないのに、まぶしくて美しい世界が眼前に浮かび泣けてくる。自分もこのような風景を見たことがあったはずなのに、放哉の目を借りて見る世界はこんなにも素晴らしい。〉
又吉氏の解説にあるように、有季定型の俳句の季語では「冬」に該当する。それでも、日の光を浴びて霜が解け、空を飛ぶ鳥もまぶしく感じられる光景は、春の息吹を感じさせる(この句は、井泉水が主宰する俳句誌『層雲(そううん)』の同年5月号に掲載された)。
さらに、前述のように4月7日に亡くなった放哉の最後の手記には、9句が記されていた(『層雲』6月号に掲載)。そのうちの一句は、まさに死にゆく自らの姿を、ありのままに活写したものだった。死に場所を求めてやってきたこの島で、ただ静かに死を受け入れようとしている姿が浮かび上がる。
「肉がやせてくる太い骨である」 放哉
〈病が進行し体が痩せていくことによって、骨はむしろ存在感が強くなっていく。常人であれば直視したくないはずの現実から放哉は目を逸らさずそれも俳句にした。〉
そして、最期の一句が、やはり放哉の代表句として知られている次の句である。
「春の山のうしろから烟(けむり)が出だした」 放哉
〈放哉が最後の日を迎えたのは春だった。枕元にあった紙切れにはこの句が書き残されていたそうだ。のどかな春の山のうしろから立ちのぼっていく野焼きの煙には優しい静けさがあり、そのような風景に慣れ親しんでいない者にも郷愁を感じさせてくれる。放哉はそこに幼い頃に遊んだ鳥取の春の山を見たのだろうか。穏やかな句に感謝の気持ちを込めて、自然と手を合わせたくなる。〉
自らも自由律俳句を創作するピース又吉氏。新書『孤独の俳句』で尾崎放哉の選句と解説を担当した(撮影/国府田利光)