20歳の天才棋士、藤井聡太六冠(時事通信フォト)
忙しいほうが、結果が出るタイプ
ただ、羽生九段を取り巻く環境には、大きな変化が訪れる。初めて日本将棋連盟の理事選に立候補し、当選したのである。棋士総会での承認、理事間での互選を経て、日本将棋連盟の新会長に選任される見通しだ。
多忙な会長職を兼ねることによって、将棋の研究の時間がなくなるのでは、とも心配されているが、前出・松本氏は「たしかに常識的には、理事職を務め、運営業務に忙殺されるのは、プレーヤーとしてはマイナスと見られます。なかでも会長は将棋界の顔です。多くのイベントに出席するため、文字通り東奔西走で全国を駆け巡ることになります。将棋の研究や、対局の合間に休息する時間を大きく削られては、勝てなくなるのが道理でしょう。ただし羽生九段には、そうした常識的な見方はあてはまらない可能性もあります」と話す。
「羽生九段は15歳でデビューしてからすぐに勝ち始め、対局が多くつき、最初から忙しい生活が当たり前でした。以来ずっと、ハードスケジュールをこなしてきています。盤上の勝負だけでなく、将棋界の顔としての“公務”も少なくなかった。また趣味のチェスで世界各国の大会に参加するなど、自ら積極的に、空いた時間にスケジュールを埋めていくタイプでした。そうした多忙さが気持ちの張りにつながっていたようにも見えます。会長になって盤外でさらに様々な仕事が増えても、もしかしたら成績はそう落ちないのかもしれません」
松本氏はその“前例”として、大山康晴十五世名人の名を挙げる。
「言わずと知れた歴史に残る大棋士ですが、東京・将棋会館や関西将棋会館の建設の際には先頭に立って尽力し、1976年~1989年には将棋連盟の会長を務めています。凄いのは会長としての仕事をこなしながら、順位戦でA級の地位をキープ。さらには1979年度から1981年度にかけて、加藤一二三、米長邦雄、中原誠という当時の三強を相手に王将戦七番勝負で勝ち、60代を目前にして3連覇を達成していること。
奇しくも今の連盟も2024年の創設百周年という節目を前に、東西将棋会館の移転という“大仕事”を目の前に控えていますが、そういうなかで羽生九段は会長に就任する。盤上における実力が卓越しているだけではなく、トップとして将棋界の発展に尽くそうとする責任感が強い羽生九段ですから、大山十五世名人と同じような将棋も勝ち続ける“強い会長”になるのではないか。
プレーヤーとして最前線を走ってきた羽生九段の会長就任ということで驚かれた方が多いでしょうし、私も驚きました。会長職に就くと将棋のほうに力が注げなくなるのではと心配する人も少なくないでしょうが、大棋士が会長に就くのが将棋界の伝統でもあります。羽生九段ならば大丈夫なのではないでしょうか。むしろ新会長の活躍で将棋界はますます盛り上がるのではないかと思います」
タイトル戦で「令和の天才」と「平成のレジェンド」が再戦する日は、そう遠くないのかもしれない。
※週刊ポスト2023年5月19日号