バレエという最も過酷な肉体表現からこぼれ落ちた主人公と、「逃げる」というキーワードが繋がった瞬間、各々が各々の舞台を生きるこの『ヒロイン』の構想が広がったと言い、かつては桜木氏自身、日常とは違う舞台を小説に求めたとか。
「ちょうど私が小説を書き始めたのが2人目を産んだ後で、なぜ小説があんなに慰めだったのかと思うほど、毎日が一杯一杯だったんです。母に妻に嫁と、何役も演じなきゃならなくて。
そこで成りすましたのが桜木紫乃の顔で、そこでは何を考えてもよかったし、自由になれた。普段は自分の意見をなかなか言えないだけに、自分の頭で考える作業がとにかく楽しくて、桜木紫乃に成りすます時間に本当に救われたんです。だとしたら自分ってなんだろうとも思うけど、結局どの顔も同じ私なんですけどね」
見てきたことをそのまま書いたというこの逃亡劇は、「捕まらない唯一の方法は逃げないこと」と桜木氏も言うように、その場、その場の設定を主人公が懸命に生きてこそ、単なる事件物から生の物語へと昇華した。そして彼女は法が裁く罪でなく、自分にしか裁けない罪の名前を、旅の終わりに自ら発見する人なのだ。
【プロフィール】
桜木紫乃(さくらぎ・しの)/1965年北海道釧路生まれ。高校卒業後、裁判所職員を経て結婚。一男一女を出産後、『北海文学』同人となり、2002年「雪虫」で第82回オール讀物新人賞を受賞。2007年『氷平線』で単行本デビュー。2013年に『ラブレス』で第19回島清恋愛文学賞と『ホテルローヤル』で第149回直木賞を受賞。2020年『家族じまい』で第15回中央公論文芸賞。著書は他に『硝子の葦』『起終点駅(ターミナル)』『蛇行する月』『裸の華』『氷の轍』『緋の河』等。160cm、B型。
構成/橋本紀子 撮影/国府田利光
※週刊ポスト2023年10月6・13日号