藤井聡太・七冠の「全冠制覇」まであと1勝──。10月11日の王座戦第4局で永瀬拓矢・王座に勝利すれば将棋界の8タイトル独占を達成する。「全冠制覇」は羽生善治・九段(日本将棋連盟会長)が1996年に七冠(最新のタイトル「叡王」は2017年から)を達成して以来となる。
「将棋界の歴史」が変わる瞬間が目前に迫るなか、半世紀にわたってプロ棋士たちの活躍と日常を写真に収めてきた大ベテラン写真家の著作『将棋カメラマン 大山康晴から藤井聡太まで「名棋士の素顔」』(小学館新書)が発刊された。対局撮影50年のキャリアを持つカメラマン・弦巻勝氏が撮影した写真とともに棋士たちとの交流秘話を振り返る同書から、型破りな性格で将棋ファンの心を掴んだ米長邦雄・永世棋聖の仰天エピソードを紹介する。
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米長邦雄の「予言」
僕がいちばん酒席をともにした棋士、それは亡き米長邦雄さん(永世棋聖、将棋連盟元会長)だろう。同じ中野区の鷺宮に居を構え、米長さんが亡くなる2012年まで、交流は35年の長きにわたった。
米長さんが好んで色紙に揮毫した言葉に「惜福」がある。明治時代の文豪、幸田露伴が唱えた「幸福三説」のひとつで、「自分に与えられた福を使い果たさずに取っておけば、いつかまた福と出会うことができる」──そんな意味が込められている。
お互いが若かりし頃、ママチャリに乗った米長さんが朝っぱらから我が家にかけつけ、自転車のカゴからウイスキーを取り出し、にこやかに「飲みましょう」と僕に声をかける。そんなことが何度もあった。常識と非常識が混在する「米長流」と、僕は最後まで付き合い続けた。
米長さんは、敵も味方も多い人だった。同じ世界の住人である棋士から、交際女性を横取りされたと訴訟を起こされたこともあった。将棋をこよなく愛した作家・山口瞳さんからは「キヤウジン」と呼ばれ、将棋連盟会長時代には有力な記者たちからその専横ぶりを厳しく批判された。
その一方で名人位をはじめ数々のタイトルを獲得、幅広い世界に多くのシンパを抱え、将棋界の経営改革に尽力した。「さわやか流」と「泥沼流」という真逆のように思える棋風を併せ持っていたが、それは良くも悪くも振れ幅の大きかった米長さんの人間性を象徴していたように思える。