【シリーズ・没後1年アントニオ猪木さんを語る】プロレスラーとしてだけではなく、政治家としても注目を浴びたアントニオ猪木さん。昨年10月1日に亡くなってから1年が経った。猪木さんの生き様に、人生を変えられたという人も多い。猪木さんファンで元衆議院議員・石川知裕(50)が振り返る。
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小学生、中学生の頃は、大のプロレスファンでした。『週プロ』と『ゴング』の2誌を毎週必ず購入し、『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日系)が放送される「金曜8時」はテレビの前に釘付けでしたね。
私は早稲田大学在学中に小沢一郎先生の書生となり、1996年に大学を卒業後、私設秘書となりました。1990年代前半に参議院議員だった猪木さんと直接お話しする機会はありませんでしたが、「政治家・猪木」の外交力について、猪木さんの旧ソ連、ロシア訪問時のアテンドをしていた外務省の佐藤優さん(現・作家)からはこんな話を聞いていました。
「エリツィン大統領の最側近として知られたブルブリス国務長官は、それまでどんな日本人の面会要請も受け付けなかったが、“イノキなら会いたい”と言ってきた。猪木さんの外交への寄与は計り知れないものがある」
格闘の世界で培った世界的な知名度は、ロシアでも絶大な神通力があったと思います。誰にも真似のできない政治でした。
私が現職だった10年ほど前、同僚議員の紹介で猪木さんと初めてお話しすることができ、その後は親しくさせていただきました。
北海道の大樹町で2017年、堀江貴文さんが創業した民間ロケット会社「インターステラテクノロジズ」がロケットを打ち上げる際、無償で打ち上げイベントに駆けつけてくれました。
この日は悪天候で打ち上げが延期されたにもかかわらず「こうなったら北朝鮮の技術者を呼ぶか」などと言っておられましたが、どんなハプニングにも動じない。
北方領土の国後島でプロレス興行を開きたいと常々夢を語っていましたし、最晩年にも「ニカラグアに第2のパナマ運河を造って、中国の影響力を弱める」と力説していました。
「外務省や他の議員にできないことを俺はやるんだ」──それが猪木さんの政治の原点にありました。人の心を動かすという意味において、プロレスラーと政治家の使命は似ています。私にとって猪木さんは、プロレスファンとして、政治家として、二重の意味で忘れられない存在です。
取材・文/欠端大林(フリーライター)
※週刊ポスト2023年11月10日号