林与一
叱られたくない一心でひとり稽古を重ねた林は「いまも役者の中で、復習量は多い方だと自信を持って言えます」と続ける。
「関西出身のぼくは江戸っ子を演じることが得意じゃなかったけど、いま江戸っ子の演技がかたちになっているのは、ひばりさんのおかげです」
叱咤激励を受け、芝居と真剣に向き合い演技の幅も広がった林だが、ひばりさんから褒められることは、最後まで一度としてなかった。
「“できるようになったじゃん、お前”と言われることはあっても、“うまいね”とか“いいね”と言われたことはありません。他人に対しても自分自身に対しても、とにかく芸事に厳しい人だった。真のスターですね。舞台に立つと3倍も大きく見えるようなオーラがありました」
だが、どんなに厳しくても「誰彼構わず叱る人ではなかった」と林は振り返る。
「ぼくへの叱責は、きっと愛情だな。“こいつは言えば育つ”と思っていたからこそ、叱ってくれた。“どんな役がきても負けないぞ”と思えたのはひばりさんの厳しい叱責があったから。だけどあのときのぼくは若かったから、ひばりさんが育ててくれていることに気づけなかった。いまでは感謝でいっぱいです。ぼくの役者としての成長分を100歩だとすると、そのうちの80歩はひばりさんとの5年間で得たものでしょうね」
【プロフィール】
林与一(はやし・よいち)/1942年大阪府出身。俳優、舞踏家。1958年に大阪歌舞伎座で初舞台を踏む。1964年のNHK大河ドラマ『赤穂浪士』堀田隼人役で脚光を浴び、1960年代後半から1970年代にかけて映画『新蛇姫様 お島千太郎』などで美空ひばりさんの相手役を務めた。
※女性セブン2023年11月30日・12月7日号