「家族よりGメンのメンバーといる時間のほうが長かったんじゃないかな」と振り返る倉田保昭(撮影/横田紋子)
おしゃれへのこだわりとフィルム時代の熱気
藤田:近藤プロデューサーは東映の社員というよりモノづくりのプロ。情熱が本当にすごかった。
倉田:編集だって監督を差し置いて自分でやってしまうくらい。ラッシュから付きっきりで「あれを撮り直せ!」「これも!」。何も言われなかったのは丹波(哲郎)さんくらいで、他の役者には「いつ辞めてもいいよ」という態度でした(笑)。
藤田:美術へのこだわりもすごくて、私の衣装はワールドさんに頼んで「好きな衣装を選んでこい」と。おしゃれであること、スマートであることに鋭敏な方でしたね。
倉田:そういえば、コーヒーを飲んだり物を食べたりするシーンは一切ありませんでしたね。
藤田:そういうこだわりが近藤さんの美学でしたね。現場の熱気もすごかった。カメラマンも照明も音声も、良い絵を作るという気迫に満ちていました。フィルム撮影でその場でチェックできないから、隅々まで気を遣っていました。
香港では視聴率70%超人気は国境を越えた
倉田:海外ロケも大変だったよね(笑)。
藤田:フランスロケで、スタッフが寝坊して撮影に遅れ、近藤さんが本気で「帰れ!」と怒鳴ったことがあって。それが現場の流行語になり、NGを出すたびに役者同士で「お前、帰れ!」って言い合って(笑)。厳しい中でも笑いが絶えなかったのを覚えています。
倉田:私は香港映画の撮影と並行していて、Gメンに間に合わせるためロケ地の台湾を途中で抜け出して帰国したことがありました。向こうのスタッフから「倉田を殺せ!」とまで言われ(笑)、おかげで2~3年は台湾に入国できなくなりました。
藤田:逆にGメンの撮影に間に合わなかったら近藤さんに殺されていたでしょうね(笑)。ドラマは香港でも放送されていて、視聴率が70%を超えたこともあったそうで、すごい人気でしたね。