『わたくし96歳 #戦争反対』/森田富美子、森田京子・著
【書評】『わたくし96歳 #戦争反対』/森田富美子、森田京子・著/講談社/1650円
【評者】川添愛(言語学者・作家)
私の祖母の実家は、長崎の爆心地の近くにあった。当時22歳だった祖母は仕事に出ていたため無事だったが、家にいた家族はみな犠牲になった。祖母は私が生まれるよりも前に亡くなったため、話を聞くことはできなかった。
本書を手に取った動機は、祖母が何を見たのかを知りたかったという面が大きい。著者の一人、「ハハ」こと富美子さんは長崎出身の96歳。原爆投下時、造船所のトンネル内にいて一命をとりとめた。その後爆心地近くの実家に戻り、亡くなったご両親と弟さんたちを見つけた。富美子さんは彼らを荼毘に付す際、両手に残った真っ黒な煤と赤い血糊を「私に残ったのはこれだけ」と体にすり込んだ。そのときの富美子さんの気持ち、そしておそらく同じような思いをしたであろう祖母のことを思うと、涙が止まらなかった。
富美子さんは新しいものが大好きな、パワフルでアクティブな女性だ。80歳を目前にして家出をしてきた富美子さんと、本書の共著者である長女・京子さんとの日常は楽しさに満ちている。しかし、被爆時の記憶を言葉にすることは想像以上の苦しみを伴うものであったという。一度は塞がった傷を自ら開き、止まった血をまた流すような作業だったに違いない。それでもあえて「伝える」ことを選んだ富美子さんの思いは、次の言葉に集約されている。
「最悪なことでも忘れたいことでも、言い伝えなければ繰り返されます。都合の悪いことは隠したり無かったことにしようとする人たちがいます。私は私にできることを今しています。」
人類が繁栄してきたのは、自分が直接体験できない「他者の経験」を、言葉を通じて受け取ることができたからだ。私は今こそ、言葉の力を信じたい。戦争を知らない人々が、富美子さんから平和への決意を受け取ってくれることを願っている。
※週刊ポスト2025年8月15・22日号