『南海王国記』/飯嶋和一・著
【書評】『南海王国記』/飯嶋和一・著/小学館/2520円
【評者】角幡唯介(探検家)
寡作で知られる歴史小説家の七年ぶりの新刊である。今回の主役は鄭成功。中国人の父と日本人の母のあいだに生まれ、明末から清初にかけて中国大陸南岸から台湾の沿岸域で活躍した海の英雄だ。日本や東南アジアとのあいだに強固な貿易網を構築し、その経済力をバックにひとときの夢のような海洋国家をきずきあげた彼は、国家が主役の歴史の主文脈からはずれた自由の象徴である。
中国東北部から徐々に勢力をのばし、大陸統一にむけて巨大化してゆく異民族国家・清に対し、鄭は明の再興という大義をかかげて抵抗し、漢人たちはそれを熱狂的に支持する。その攻防が一代絵巻物のように描かれ、息つく暇がなかった。
著者の作品に一貫しているが、本作でも人の生きざまが大きなテーマとして問われている。鄭成功を追い詰めるのは呉三桂や尚可喜といった明から清に寝返った裏切り者の漢人軍閥である。
劣勢をしいられる自軍からも再三裏切り者があらわれ、鄭成功を苦しめる。満州族とおなじ辮髪にすることが裏切り者の象徴だ。辮髪にするか否か、それは魂を売るのか守るのかの問題だ。巨大な力の理不尽な支配にひれ伏さず、大義と信条を掲げ、そして散った人物の美しさと儚さが描かれている。
さらに大きな目で見ると、歴史とは何なのかという探求が物語の大きなバックボーンとしてあるのではないだろうか。叙述スタイルは登場人物のそれぞれの動きが細かく描かれ、それを積み上げることで大きな動きを描き出す、というもので、カオス理論が物語化されたらこうなる、というような作風だ。
つまり歴史を動かすのは人、わき役たちの小さな思惑やそのときどきのふるまいが大きな流れを生み出し、それが巡り巡っていまの私たちにつながっている。そんな雄大な大河の流れに身を浸すような気持ちになる作品だ。
※週刊ポスト2025年12月26日号
