スポーツ

ドーピング冤罪証明 元川崎F我那覇が負担した費用3500万円

【書評】『争うは本意ならねど』(木村元彦著/集英社インターナショナル/1575円・税込)

【評者】河合香織(ノンフィクション作家)

 * * *
 ここにはスター選手を主人公とする一般のスポーツノンフィクションが纏っている華やかさはない。描かれる事件自体も、日本中の誰もが注目していたほどのものではないだろう。それなのに、不思議なほどに惹きつけられる本だ。

 本書は2007年当時Jリーグ(J1)の川崎フロンターレでプレーしていた我那覇和樹(がなはかずき)に降りかかった「ドーピング冤罪事件」を描いたノンフィクションである。

 我那覇はこの前年、J1で全体の3位、日本人の中では最多の18ゴールを挙げ、その活躍が当時の代表監督オシムに評価され、沖縄出身選手として初めて日本代表にも選ばれた。だが、未来はたった1本の注射で暗転してしまう。

 2007年4月、体調を崩して食事も水も受け付けなかった我那覇は、練習後、チームドクターからビタミンB1入りの生理食塩水を点滴注射してもらった。何の問題もないはずだった。ところが、このことが「にんにく注射」だと誤報されたことをきっかけに、ドーピング禁止規定に抵触したとしてJリーグから6試合の出場停止を食らってしまう。冤罪だった。

 義憤に駆られた全てのJリーグチームのドクターたちが、我那覇と医師の潔白を証明するために立ち上がり、処分の取り消しを求めた。我那覇自身も、「サッカーを裏切るようなことはしていない」と訴えた。

 だが、Jリーグは処分を撤回しない。我那覇は国内の日本スポーツ仲裁機構に仲裁を委ねることを希望したが、Jリーグは応じず、そのため提訴に数千万円の費用がかかるスポーツ仲裁裁判所(CAS。本部スイス)に提訴せざるを得なくなる。

 ある意味小さな綻びから始まった争いは、そこまで大ごとになっていった。我那覇はCAS裁判に勝てると確信していたわけではなく、下される裁定によっては現役引退を余儀なくされるとまで覚悟していた。

 著者は独自の取材と資料の綿密な読み込みにより、冤罪が生まれた過程を明らかにしていく。また、“行政”と“司法”が実質的に分離していないなどJリーグが抱える様々な問題点も炙り出していく。

 著者が心からこの事件を憂い、ひとり我那覇にとどまらず、スポーツ界全体の将来について真剣に考えていることが伝わってくる。

 著者は書く。〈我那覇はJリーグと闘ったのではない。Jリーグを救ったのである。それも他の人々を巻き添えにしたくないがために敢えて黙して孤独を抱え込み、たったひとりで何千万円もの私財を投じて〉

 2008年5月、CASは我那覇の潔白を認めて「処分無効」の裁定を下し、Jリーグに対して史上最高額の罰金2万ドルを支払うことを命じた。我那覇が負担を強いられた費用は3500万円にも上ったが、それでも信念を貫き通した。

 本書の魅力を際立たせるもうひとつの主人公は、我那覇を支えた人たちだ。彼の無欲な姿勢は人を動かした。膨大な時間を費やして彼を支えたドクターたち、手弁当で沖縄から募金集めの支援にやってきてくれた仲間。

 真実を明らかにしたい、規定の誤った運用によって他の選手が同じような被害を受けるようなことがあって欲しくないという思いでひとつになった人たち。正しいことをしたいと願う人を孤立させないその姿勢こそが、この事件に清々しい結末を呼び、爽やかな読後感を残す。

※SAPIO2012年2月22日号

関連記事

トピックス

新恋人A氏と交際していることがわかった安達祐実
安達祐実、NHK敏腕プロデューサーと「ファミリー向けマンション」半同棲で描く“将来設計” 局内で広がりつつある新恋人の「呼び名」
NEWSポストセブン
第69代横綱を務めた白鵬翔氏
白鵬“電撃退職”で相撲協会に大きな変化 旭富士のデビューほか「宮城野部屋再興」が前提とみられる動きが次々と
週刊ポスト
夫から殺害されたホリー・ブラムリーさん(Lincolnshire PoliceのSNSより)
《凄惨な犯行の背景に動物虐待》「妻を殺害し200以上の肉片に切断」イギリスの“怪物”が殺人前にしていた“残虐極まりない行為”「子犬を洗濯機に入れ、子猫3匹をキッチンで溺死させ…」
NEWSポストセブン
還暦を迎えられた秋篠宮さま(時事通信フォト)
《車の中でモクモクと…》秋篠宮さまの“ルール違反”疑う声に宮内庁が回答 紀子さまが心配した「夫のタバコ事情」
NEWSポストセブン
女優の趣里とBE:FIRSTのメンバーRYOKIが結婚を発表した(左・Instagramより)
《株や資産形成の勉強も…》趣里の夫・三山凌輝が直近で見せていたビジネスへの強い関心【あんかけパスタ専門店をオープン】
NEWSポストセブン
“ミヤコレ”の愛称で親しまれる都プロにスキャンダル報道(gettyimages)
30歳差コーチとの禁断愛の都玲華は「トリプルボギー不倫」に学んだのか いち早く謝罪と関係解消を発表も「キャディよりもコーチ変更のほうが影響は大きい」と心配の声
週刊ポスト
小芝風花
「頑張ってくれるだけで」小芝風花、上海でラーメン店営む父が送った“直球エール”最終回まで『べらぼう』見届けた親心
NEWSポストセブン
安青錦(時事通信フォト)
最速大関・安青錦は横綱・大の里を超えられるのか 対戦成績は0勝3敗で「体重差」は大きいものの「実力差は縮まっている」との指摘も
週刊ポスト
熱愛が報じられた長谷川京子
《磨きがかかる胸元》長谷川京子(47)、熱愛報道の“イケメン紳士”は「7歳下の慶應ボーイ」でアパレル会社を経営 タクシー内キスのカレとは破局か
NEWSポストセブン
三笠宮妃百合子さまの墓を参拝された天皇皇后両陛下(2025年12月17日、撮影/JMPA)
《すっごいステキの声も》皇后雅子さま、哀悼のお気持ちがうかがえるお墓参りコーデ 漆黒の宝石「ジェット」でシックに
NEWSポストセブン
熱愛が報じられた新木優子と元Hey!Say!JUMPメンバーの中島裕翔
《20歳年上女優との交際中に…》中島裕翔、新木優子との共演直後に“肉食7連泊愛”の過去 その後に変化していた恋愛観
NEWSポストセブン
記者会見に臨んだ国分太一(時事通信フォト)
《長期間のビジネスホテル生活》国分太一の“孤独な戦い”を支えていた「妻との通話」「コンビニ徒歩30秒」
NEWSポストセブン