政府の2030年代での原発ゼロ社会実現方針が、実はゼロではなく「2030年に原発依存度15%」だった。政府の脱原発路線を支えてきた最高ブレーンの元内閣官房参与の田坂広志氏(多摩大学大学院教授)にジャーナリストの長谷川幸洋氏が聞いた。
私(長谷川)は「『脱原発依存』に向けた12の政策パッケージの宣言」と題する6枚紙の政策ペーパーを入手した。これはゼロ方針決定の過程で政権内に流通していた文書で、政府がパッケージとして取り入れていれば「原発ゼロ」実現に向け大きな一歩を踏み出したはずだった。
私はこれを田坂に見せた。
長谷川:これを見ると「原子力環境安全産業」など、田坂さんが近著で使った言葉がいくつか出てくる。この紙は田坂さんが書いたものでしょう?
田坂:それをどこで入手されたのですか? たしかに私が書いたものです。
長谷川:いつどのような形で提出したものですか。
田坂:3つの選択肢が出された後ですね。これを提言したのは脱原発の議論が断片的な3択議論になることを懸念したからです。本来、政策というものはトータルパッケージで示さないと意味がない。
例えば、脱原発に向かう場合、「地元の経済は破綻する」との疑問には「脱原発交付金」の政策を示す。「原子力技術者がいなくなる」との疑問には、「原子力環境安全産業」(廃炉・解体など)の政策を示す。こうした諸政策をパッケージで示さないかぎり、必ず矛盾が出てきます。ある意味で、パッケージになってない政策というのは、政策ではなく、単なる願望になってしまうのです。
長谷川:中身を見ると「原発を脱原発公社の下で一元管理する」と提案している。はっきり言って、私は「官僚に原発を委ねて大丈夫か」と強い疑問がある。
田坂:この政策は、原子力行政と原子力産業の徹底改革をすることが大前提です。ご指摘の通り、行政改革抜きの公社設立では意味がない。ここで提言した公社は、官僚が天下りして仕事をするような組織ではありません。
長谷川:原子力規制委員会にも野田政権は原子力ムラの人間を任命した。そんな状態で脱原発政策が進むとは思えません。
田坂:その批判は根強いですね。ただ私が懸念するのは、むしろ原子力規制庁です。これは、国会事故調から「事業者の虜であった」と指弾された原子力安全・保安院がそのまま横滑りした組織です。ノーリターンルール(※注)も5年間猶予条項で抜け道ができてしまった。
長谷川:廃炉はビジネスになるでしょうか。
田坂:なります。廃炉や放射性廃棄物処理などは、脱原発に向かうために絶対に必要な産業です。さらに、我が国は、ベトナムや韓国、中国なども視野に入れ、国家戦略として、この産業を国際的産業に育てていくべきでしょう。
長谷川:脱原発交付金のアイデアも示していますね。
田坂:地元は地域経済のために原発維持を望む。国民は脱原発を求める。このねじれを解消するには、一定期間、脱原発に伴う交付金を出すことも選択肢です。また、福島では廃炉や除染の仕事が膨大にあるのですから、この地域を原子力環境安全産業と自然エネルギー産業の拠点にすることで福島の復興を支援する政策も必要でしょう。
この脱原発ペーパーは政権内部で検討され、「40年で必ず廃炉」「原発の新増設は認めない」など一部は採用されたものの、「脱原発公社」や「脱原発交付金」などはまったく日の目を見なかった。官僚は、すべて拒絶するのでなく、パッケージを細切れにして一部をつまみ食いすることで、政策全体としてのコンシステンシー(一貫性)を失わせようとした。それが「偽りのゼロ案」につながった。(文中敬称略)
※注/他省庁から出向した原子力規制庁の職員は、出向元の省庁に戻れないとしたルール。5年間の経過措置が取られることになった
【プロフィール】
●たさか・ひろし:1951年生まれ。東京大学大学院修了。工学博士(核燃料サイクルの環境安全研究)。民間企業と米国国立研究所で放射性廃棄物最終処分プロジェクトに取り組む。日本総合研究所取締役を経て、現在、多摩大学大学院教授。2011年3~9月まで内閣官房参与。新著に『田坂教授、教えてください。これから原発は、どうなるのですか?』(東洋経済新報社刊)
●はせがわ・ゆきひろ:東京新聞・中日新聞論説副主幹。1953年生まれ。政府税制調査会委員などを歴任し、現在は大阪市人事監査委員会委員長も務める。著書に『日本国の正体 政治家・官僚・メディア―本当の権力者は誰か』(講談社)など
※週刊ポスト2012年11月2日号