日本支配下の朝鮮半島・済州島で「女狩り」をして捕えた朝鮮人女性を慰安婦として戦地に送り込んだ、との「吉田虚偽証言」を朝日新聞が初めて報じたのは、独裁政権下の1982年9月2日の大阪本社発行版だ。「朝鮮の女性 私も連行 元動員指揮者が証言 暴行加え無理やり 37年ぶり 危機感で沈黙破る」の見出しの記事はこう伝えた。
「昭和17年から10数回、吉田清治氏は朝鮮半島に行き、約6千人を強制連行した。うち950人が慰安婦で、皇軍慰問女子挺身隊として戦場に送ったが、昭和18年の初夏には、済州島で完全武装の日本兵10人が集落を包囲した後に女狩りをし、連行する途中のトラックで、兵士らが集団暴行するなどしながら、200人を従軍慰安婦にした」
この記事とほぼ同じ内容の吉田清治氏の著書『私の戦争犯罪』の韓国版は民主化時代に入った1989年に韓国で出版された。するとすぐ、地元の「済州新聞」は、「事実と異なる」と報じた。しかし、それが韓国内で反響を呼ばなかった。韓国社会では自国メディアより、外国紙への信頼が強かったことの裏返しだったろう。
朝日新聞が1992年1月11日に、「慰安所 軍関与示す資料」と報じると、その資料は吉田証言による「女狩り」を裏づけるものではなかったのに、4日後の東亜日報は、「日本は11歳の韓国人少女まで戦場で性のおもちゃにした人面獣心の国だ」と、何の根拠もはっきりとは示さないままに、とんでもないことを書きたてた。
日本政府がこの記事に強硬な抗議をしなかったのが一番の問題だったが、朝日新聞はこんな記事が韓国で出た後も、
〈「国家権力が警察を使い、植民地の女性を絶対に逃げられない状態で誘拐し、戦場に運び、1年2年と監禁し、集団強姦し、そして日本軍が退却する時には戦場に放置した。私が強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、女性の全部が死んだと思います」〉(1992年1月23日付夕刊 「窓・論説委員室から」)
そんなこと本当にあったのか、との読者の当然の疑問には、こう答えた。
〈知りたくない、信じたくないことがある。だが、その思いと格闘しないことには、歴史は残せない〉(同3月3日付夕刊「窓・論説委員室から」)
※SAPIO2014年11月号