■疑いを持つことこそ「科学的」

 カンガルーケアや行き過ぎた完全母乳が「低血糖症」「黄疸」「脱水」などのリスクを高めている報告が多数あり、「低血糖症」「黄疸」「脱水」などが赤ちゃんの脳にダメージを与えて発達障害のリスクを高めるという報告も多い。それでもまだ、推進派はこの重大な問題提起を無視することが正義だと考えるのだろうか。

 元伊万里保健所長で発達障害児の支援を担当してきた仲井宏充・医師はこう語る。

「各国の研究報告を考え合わせると、発達障害と関係しているのではないかという疑いを持つことこそ科学的な姿勢でしょう。各自治体では3歳児健診の時に発達障害児スクリーニングを行ないます。その際、完全母乳やカンガルーケアの有無を調査することはできるはずですが、どの自治体も消極的です。そもそも発達障害児の実数の公表さえしていない自治体が多いから、関連性についての調査ができないという行政の対応の問題もある」

 発達障害の専門家で、国立精神・神経医療研究センター児童・思春期精神保健研究部長の神尾陽子氏(精神神経科)もこう指摘する。

「周産期の問題はすべての人にとって避けられるなら避けた方が望ましい。神経発達上の重要なリスクにはなりうるが、個人差の大きい発達障害の病因として特定される根拠としてはまだ不十分です。発達障害の病因は遺伝と環境が複雑に関連し全貌はまだ解明されていませんが、手がかりを見つけるための基礎研究はそれに見合った研究デザインのもとに進んでいくことが望ましいと思います」

 だからこそ、久保田氏は「まず調査すべき」と主張しているのだ。調査さえされていないのに「エビデンス(証拠)がない」と否定する姿勢こそ科学に身を置く者としても、生命を扱う医療者としても無責任で怠慢な意見だ。

 ところが、推進派の意見が強い日本の周産期医療界は逆に新生児期に「低血糖症」などに陥っていたかどうかの記録を残さないことを目指している。

 推進派の団体は、独自のガイドラインで〈健康で成長が適正な児に血糖値をモニタリングする必要はなく、親の満足感や母乳育児確立を害する可能性もある〉と指導しており、日本の多くの産科施設は正常に生まれた赤ちゃんの血糖値を測定していない。そして数年後に発達障害が見つかっても、記録がないため原因特定はできない。少なくとも、責任を問われない病院側にとっては都合の良いガイドラインである。

 より深刻な問題も起きる。2014年3月に東京都内の総合病院で元気に生まれた赤ちゃんが「完全母乳」によって1日半後に一時呼吸停止に陥って植物状態になる重大な事故が起きた。泣き続けた赤ちゃんに与えられたのは必要量の10分の1以下の30ccの人工乳だけだったが、病院ではその間、血糖値を一度も測定しておらず、低血糖症の危険を調べることを怠っていた(連載記事【1】既報)。

 久保田氏が語る。

「推進派はカンガルーケアと完全母乳は発達障害に関係ないというが、血糖値を測定しないために無症候性の低血糖症は見逃されており、低栄養で起きる重症黄疸も治療技術が確立していることから軽視されている。そうした医療現場で気づかれない低血糖症などが脳に影響を与えて発達障害などにつながっているのではないかと懸念されます」

 久保田氏の問題提起に対し、発達障害児を持つある医師からは、「私はカンガルーケアや完全母乳を実践したが、あの出産時の飢餓状態が発達障害の原因ではないかと気になっていた。早く検証し、そうであれば危険性を広く伝えることが医学の責任だと考えています」という内容のメールが寄せられた。

 ちなみに本連載に対する批判の中には、「粉ミルクがなかった時代はみんな完全母乳だった。昔はもっと発達障害が多かったことになる」という“素朴な意見”もある。

 これには誤解がある。産婆が行なっていた昔の出産・育児は、完全母乳ではあっても、「産湯」という赤ちゃんの保温を重視する科学的にも正しい手法が取られ、母乳が出ない母親は「もらい乳」で栄養を補うことが一般的に広く行なわれていた。疑うなら自分の親やそうした世代に聞いてみればわかることだ。赤ちゃんの栄養と体温管理に関する予防医学は完全母乳とカンガルーケアの普及でむしろ後退している。

 カンガルーケアと行き過ぎた完全母乳という新生児管理の問題について一刻も早く研究、調査がなされ、その結論が出るまでは実施も控えるべきだ。(了)

<プロフィール>
久保田史郎(くぼた・しろう):医学博士。東邦大学医学部卒業後、九州大学医学部・麻酔科学教室、産婦人科学教室を経て、福岡赤十字病院・産婦人科に勤務、1983年に開業。産科医として約2万人の赤ちゃんを取り上げ、その臨床データをもとに久保田式新生児管理法を確立。厚労省・学会が推奨する「カンガルーケア」と「完全母乳」に警鐘を鳴らす。

※週刊ポスト2014年12月12日号

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