日本海を望む城崎温泉の南に位置する豊岡市出石は、実は日本で一、二を争う酷暑にして豪雪の地。永楽館の原型は明治7年建設の野天の歌舞伎舞台に遡り、同34年、出石で紺屋を営む芝居好きの小幡氏が元出石城主仙石氏の家紋に因んだ永楽館を自費で建設。歌舞伎や寄席、演説会に活動写真と様々に利用されてきたが、娯楽の多様化もあって昭和39年に閉館。以来小幡家の子孫が保全に努めたが傷みは酷く、立ち上がったのが「出石城下町を活かす会」だ。
出石では昭和43年に出石城の櫓を町民の寄付で復元するなど町づくりの意識が高く、その歴史的価値に注目した中貝宗治市長は平成18年復元に着手。同20年、44年ぶりに甦った永楽館の柿落公演で、氏は落成を寿ぐ『操り三番叟』を舞う。
「何しろ兵庫県重要有形文化財なので、冷房は氷柱くらい。舞う方も観る方も汗だくで、翌年『車引』を演じた時には普通の鬢付よりガチガチに硬い油をライターで溶かして作った梅王丸の鬘が溶けてしまったくらいで(笑い)」
裏方のほとんどは市民やボランティアが務めている。
「一般の劇場と違って裏方さんもいませんし、全てが町ぐるみの手作りなんです。ああ、昔の役者はこうやって芝居と向きあってきたんだなあと感慨深い小屋です。
所詮僕らは芝居しかできませんし、言うてもキャパは300人ほどで全員タダで働いても赤字。幸い去年の切符はすぐに完売したんですが、地元の方々の情熱や中貝市長の掛け声がなければ絶対7年も続けられません。だから僕ら〈チーム上方〉も中村壱太郎(かずたろう)君が口上で地元名物を宣伝したり、町興しまではできずとも恩返しだけはしたいなと…」
行けば〈お帰り〉と迎えてくれる場所。その大らかさが永楽館の味わいらしい。