参謀が意思決定し、トップが責任を取らないというシステムは、日本特有のものです。たとえばアメリカ海軍はまったく異なるシステムを取っています。
米海軍では優秀な人材を少将まで昇格させてプールしておき、何かプロジェクトや作戦が立ち上がるとそこから人材を選んで中将や大将に昇格させます。失敗すると責任を取らせて少将に降格させる仕組みで、またチャンスが巡ってくることもあります。
真珠湾攻撃で米太平洋艦隊は大打撃を被り、司令長官のキンメル大将は更迭されました。壊滅的な状況に誰もが意気消沈しているなかで、不屈の闘志を見せ、反撃の意志を示して鼓舞していたのがニミッツでした。このテキサス出身の巌のような男は、あまり頭が切れるわけではなかったが、意志が強く人望がありました。そこで海軍は、「ハンモック番号」で26番目のニミッツに司令長官という重要な任を与えました。
ハンモック番号とは軍令承行令のことで、指揮官が戦死したときに誰が次の指揮官になるかで混乱しないように、あらかじめ順番を決めておく制度です。ハンモックを偉い順に吊っていくのでそう呼ぶわけですが、26番というのはかなり後ろのほうで、まさに大抜擢。そして現実にこの人事は大成功を収めました。
◆ミッドウェー大敗と新国立は同根
一方の日本軍の場合、司令長官などを決める際、機械的にハンモック番号の上から順に選んでいました。
開戦前に、山本五十六・連合艦隊司令長官ら航空戦力を重視する者たちは、機動部隊である第一航空艦隊を創設しました。その司令長官を誰にするかというときに、ハンモック番号で1番だった南雲忠一を選んでいます。
彼は水雷の第一人者でしたが、航空戦は素人です。航空戦を熟知し、機動部隊の発案者でもあった小沢治三郎という人物がいたにもかかわらず、海軍は形式的な序列に縛られて、南雲に機動部隊の指揮官を任せたのです。
南雲は真珠湾攻撃には成功したものの、1942年6月のミッドウェー海戦では、戦局が一転するほどの大敗を喫しました。ところが、その責任を負わされたのは指揮官ではなく、下級の幕僚たちだけで、南雲はその後、第三艦隊司令長官の任に就いています。
日本軍の場合は、責任を取らされて一度降格させられると、キャリアとしては終わりになるので、上層部はお互いに責任を問わないぬるい風土があったのです。敗因を徹底的に分析し、責任の所在を明らかにすることを避けていたわけです。
これは新国立競技場の問題とまったく同根です。戦後70年たっても、日本人は歴史から教訓を何も学ばず、同じことを繰り返しているのです。
※週刊ポスト2015年8月21・28日号