累計発行部数1億4000万部を超える作家・森村誠一さんの原点は、70年前の8月14日深夜の熊谷空襲にある。生まれ育った街が一夜にして焼け野原、近くの川に浮かんでいた見知った顔の死体の山…当時、小学6年生だった彼が目にした光景はあまりにも衝撃的だった。一日たりとも忘れていないあの日の出来事――。
1945年8月14日午後11時頃、森村さんは、父親に枕を蹴飛ばされて目を覚ました。
「起きてみたら、昼間のような明るさ。「とうとう来た、逃げろ」という親父の怒声で、家族全員、外に飛び出しました」(森村さん、以下「」内同)
熊谷空襲――B29約80機が8000発ほどの爆弾を熊谷市一帯に落とした。中心街は3分の2が消失し、266人の命を奪ったといわれている。
「いったん、家の近くを流れる星川のほとりまで逃げました。そこで飼い猫のコゾを家に置いてきたのに気づいたんです。妹が『捜しに行く』と引き返そうとしたら、親父が妹の手をグッと強くつかんで離さなかった。そのときの親父の顔は、悪鬼のように怖かった。
まもなく親父がここも危ないと判断し、再び移動しました。道路の両端は火の手がすごくて、何度ももうダメだと思いました。親父が『道路の真ん中を行け!』と言うので、熱さに耐えながら家族6人で走り抜けました。防災ずきんは周りがよく見えないので途中で捨てました。髪は黒焦げになったし、妹の髪も縮れてしまって、見ていてかわいそうでした」
森村一家は死にもの狂いで走り続けて、郊外の桑畑まで逃げ延びた。振り向くと、街が赤々とした炎に包まれていた。
「親父に言われました。『よく見ておけ、おまえの街は今、燃えているんだ』と。積雲が林立し、火の手があちこちから上がる中、B29の編隊が飛んでいました。あまりの圧倒的な光景に、とてもきれいと見とれてしまいました。
明るくなって、家に向かって歩き始めましたが、あたり一面焼け野原だから、場所がまったくわからない。星川沿いを歩いていきました。幅が3mぐらいの浅い小さい川でよく水遊びをしました。
焦げ臭さの中、ところどころでまだ火がくすぶっていました。家の近くらしきところまで来ると、星川の中にもう死屍累々。川底が見えませんでした。ものすごいショックを受けましたね。
その死体がすごくきれいなんですよ、みんな。残酷な死体じゃないんですよね。煙にまかれて窒息死でしたから。
折り重なって亡くなり、上を向いてる人もいるし、生きてるようにも見える。最初は、水遊びでもしてるのかなとさえ思いました。うつ伏せになって死んでる人って少ないものなんですね。上を向いてるとか、横を向いてる人が結構多かった。
その中に初恋の子もいました。『ミヤちゃんがあそこにいるよ』ってぼくが親父に言って。もう涙が出てきちゃって川に下りて、引きずり出そうとしたんです。すると、親父が『やめておけ。そんなことをしたってどうにもならない。上に引きあげたらどうなる? すぐ腐っちゃうだろ』と厳しくぼくを叱りました。
作家になろうと決めたのはこのときです。この光景を、将来、本に書き記したいと痛切に思いました。その時の光景は、今でも、ぱっと頭に浮かびます」
その日の正午、爆撃を運よく逃れた家のラジオから玉音放送が聞こえてきた。
「難しい言葉だから何を言っているかはわからなかったけど、近所の大人たちはみんな泣いてましたよ。でも、親父は平気な顔をしていました。だから戦争が終わったとわかりました。ぼくはうれしかった。これから好きな本が好きなだけ読めるなと思いました」
※女性セブン2015年8月20・27日号