近年、こうした仕組みは珍しくなく、たとえば東京ミッドタウンは全体としてアメリカの建築設計事務所SOMが設計するけれど、なかに入っているサントリー美術館の部分は隈研吾がデザイン監修者として木材を使った和風のデザインで付加価値をつけています。
私は、彼が全体を設計した根津美術館のように、設計者が全体を設計してこそ一貫性のある建築が生まれると思っています。
ただ、裏を返せば、このシステムならばザハ案はいくらでも変更でき、予算の枠内に収めることもできたはずですよ。実際、つねに大胆な提案をするザハにとって、案の修正は珍しいことではない。
たとえばロンドン五輪の水泳競技場もザハの最初の案よりずっと小さくなっているけれど、それなりにうまく収まっています。では今回はなぜ、修正ができなかったのか。
ここで思い起こされるのは、東京五輪組織委員会会長になった森喜朗です。新国立競技場の案が白紙から見直されることになった前後に、「ロシアはソチ五輪に5兆円も使った、日本は2500億円ぽっちも出せないのかね」といった主旨の発言をしていました。
ここから推測するに、彼を中心とする「スポーツ界のドンたち」の間で「五輪は国家行事だから予算はほとんど青天井だ」という景気のいい話が飛び交い、ゼネコン側も「それなら当初の予算枠にこだわる必要はない」と考えるようになったのではないか。
そこへさらにスポーツ団体から、「広いVIPエリアやサブトラックが必要だ」といった要求が積み重なり、それらを盛り込んだあげく費用が膨れあがったと推察します。ザハ側が縮小案を示しても費用は一向に減りませんでした。
責任は、修正を試みても予算を大幅に上回る見積もりを出し続けたゼネコンと、クライアントとしてそれを容認し続けたJSC(と文部科学省)にあることは明らかです。
しかし悪いのは誇大妄想的なデザインにこだわるザハであり、無責任に彼女を選んだ安藤忠雄らであるかのような話がまかり通ってしまった。
●浅田彰(あさだ・あきら)/京都大学大学院経済学研究科博士課程中退。現在、京都造形芸術大学教授。1983年に出版された『構造と力―記号論を超えて』がベストセラーに。1980、1990年代の思想界を牽引した。
※SAPIO2015年2月号