「買おうかと思い立った30分後には、もうサインしていたんです。墓石には、実家と私たちの苗字の両方をいちおう掘ってもらいましたが、ゆくゆく母も入るというところまでしか考えられません」と吉原さんは言う。自分たちの死後は子供たちがこのお墓を必要としないなら「手放してくれて全然構わない」ときっぱり。納骨、一周忌などの節目に霊園紹介の僧侶に来てもらったそうだが、「そのお坊さんの宗派は?」と聞くと「忘れました」。購入したお墓に「代々…」の感覚はない。
「家から車で15分くらいで行けて近いし、年に数回は行ってますよ。子供の受験前に『おじいちゃん、頼むよ』、母が病気になった時は『お父さん、早く治してね』。お願いばっかりしちゃってます(笑い)」(吉原さん)
吉原さんの“衝動買い”には驚かされたが、お墓への身近感が素晴らしい、と私は思う。
人は二度死ぬといわれる。実際の死と、人々の記憶からその人の生きていたことが失われる時だ。今、お墓は「先祖代々」のものから「1度目の死と2度目の死の間」のものに変わってきているのかもしれない。選び方や墓参の目的は「家」の有り様や生活意識の反映だ。
※女性セブン2016年12月15日号