「お母さんからは“がんばっている”と聞いていましたけど、たいした話もできず、“元気か”って、それぐらいでした。帰るとき、振り向きませんでしたが、美子が泣いているのがわかりました」
当時のことを半崎に聞くと、「そう。あの後ろ姿、すごく覚えています…」と目をうるませた。
「お父さんが認めていないのはわかりました」
その頃の半崎には、「誰かが私を見つけてくれるはず」という甘い気持ちがあった。怪しげな人物からデビューの話を持ちかけられ、ぬか喜びさせられることも少なくなく、なけなしのお金をだまし取られたこともあった。だんだん人が信じられなくなっていったが、それでも歌手の道をあきらめようと思ったことは一度もなかったという。それどころか裏切られたり傷つけられたことで、「頼るのは自分しかいない!」と、自ら行動し始めたことで道が開けていった。
小さなライブハウスで歌うようになって、地道にファンを増やしていった半崎。次のステージに選んだのは、ショッピングモールだった。
半崎のメジャーデビューはこの春のこと。それまでは芸能事務所には所属せず、個人活動のままだった。しかし2014年には『赤坂BLITZ』で単独ライブも決行。それから3年連続でチケットを完売させた。当然チケット販売からグッズ制作にチラシ配り、警備員の手配、ケータリングの発注まで、半崎本人が自ら行っている。それはデビュー後の今も続けている、ショッピングモールでのライブでもそうだ。
「まもなく、半崎美子さんのミニライブが始まります。半崎美子さんの胸に染み入るような歌声をぜひご堪能ください。みなさん拍手でお迎えください!」
先日、『川口イオンモール』(埼玉)でのライブで、そんな呼び込みが行われた。ステージの周りだけでなく、吹き抜けになっている2階、3階からもたくさんの人が顔をのぞかせていた。そしてなぜかみな、一様に失笑している。それもそのはず。呼び込みの声の主こそ、半崎美子その人だったから。こういったスタイルも昔から変わらない。
北海道の女子大生がたったひとりで見た夢は、いつしかその夢を応援する人たちも巻き込んで、想像もしなかった大きなうねりを作り出している。人との出会いがなければ、見られなかった景色。あきらめなかったから見られた景色が、そこにある。
「遠回りの連続だったけど、いつも階段じゃなく梯子をよじ登ってきました。手と足を使って一段、一段。梯子は階段のように一段飛ばしもできないですから、マメもできるし足場もぐらつく。だけど必ず誰かが支えてくれました。その感触が、今自分の手と足にしっかりあるんです」
※女性セブン2017年4月20日号