「もう、そんな選手はいいですよ。自ら進んで泥臭い練習をやってくれる人に五輪に出てほしい。そういう選手がいなくなっていることが危機なんですよ。練習が足りないと言われる時点でマラソン選手は失格です。昔は、もうやめろって監督が止めたんだから。指導者にとって、もっと練習しろと言わなきゃいけないことほど辛いことはないですから」
そう聞いて、瀬古の10年を思った。17年間務めたエスビー食品の監督をやめたのは2006年春のことだ。選手時代、早大、エスビーと二人三脚で歩んだカリスマ的老師、中村清との24時間陸上に捧げた生活と壮絶な練習は「命のやりとり」と評された。だが指導者としては、国内マラソンで3人の優勝者を出しはしたが、世界と戦える選手は育成できなかった。突き詰めれば、自らがやってきた命がけの覚悟を選手に伝えきれなかったからだ。
一度は指導者として挫折し、現場に戻るつもりはなかったが、エスビー食品陸上部廃部の憂き目に遭い、2013年からDeNA総監督として現場に復帰。東京五輪で大役を担う。それは、どこか数奇な運命を感じる。
──中村さんとの命のやりとりを伝えたい。
「それしかないでしょう。マラソンは本当に命がけでやる価値のある競技なんです。口で言ってわかるものでもないから難しいけど、言わなきゃもっとわからないから言うしかないよ。わかってくれる人が一人でもいればいい。そういう選手が出てきたら、東京でメダルを獲りますよ」